私的アニメーション音楽年表

この年表はEVの趣味のおもむくまま、アニメーション音楽に関連するできごとに
ついてアトランダムに記入した備忘録です。意図的に書いていないこともあれば、
知らないことも多々ありますが、事項の偏りは御容赦あれ。

年表作りの好きな方にはMacintosh 用のこんなツールも用意しました。
(98.07.15 改訂)


明治10年 (1877)
●レコードの発明(エジソン)。
明治11年 (1878)
明治12年 (1879)
明治13年 (1880)
明治14年 (1881)
明治15年 (1882)
明治16年 (1883)
明治17年 (1884)
明治18年 (1885)
明治19年 (1886)
明治20年 (1887)
●パリ万博。エッフェル塔。ジャワ館に音楽家が集まる。
明治21年 (1888)
●サティ「ジムノペディ」。
明治22年 (1889)
明治23年 (1890)
明治24年 (1891)
明治25年 (1892)
●エジソン、キネトスコープとエジソン式蓄音機を連動させたキネトフォンの実験。
明治26年 (1893)
明治27年 (1894)
明治28年 (1895)
●リュミエール、パリのグランカフェで映画を上映、ピアノ伴奏付きだった。
明治29年 (1896)
●リュミエール映画、ロンドンで劇場公開、オーケストラ伴奏付きだった。
明治30年 (1897)
明治31年 (1898)
明治32年 (1899)
明治33年 (1900)
●エジソン、パリ万博でヴァイタフォン(サウンド・オン・ディスクシステム)を公開。
明治34年 (1901)
明治35年 (1902)
明治36年 (1903)
C. Stalling、テント内で上映された「大列車強盗」に感動する。
●オスカー・メスター(独)ビフォン・トンビルトを発明、円盤レコードを浸かった数分の短編映画を500本以上作ったらしい(フィルム・ミュージック/岡俊雄)。時間からしてMTVの前身、うーん、聞いてみたい。
明治37年 (1904)
●ドビュッシー「海」。
明治38年 (1905)
明治39年 (1906)
●リー・デフォレスト, 真空管(三極管)を発明。アンプの誕生。
●Blackton 「愉快な百面相」黒板アニメーション。
明治40年 (1907)
明治41年 (1908)
●サンサーンス「ギーズ公の暗殺」。
明治42年 (1909)
●エジソン映画社が「音楽のための手引き」発行。
明治43年 (1910)
●C. Stalling, 地元カンサスの映画館でピアノの伴奏を始める。
明治44年 (1911)
明治45年 (1912)
大正2年 (1913)
●エジソン、改良型キネトフォン、管型のフォノグラフをベルトを使って撮影機や映写機と連動、アンプがなかったため音量不足、興行的には失敗。
●ストラヴィンスキー「春の祭典」
大正3年 (1914)
●W. McCay「恐竜ガーティー」
大正4年 (1915)
●フライシャー、ロトスコープを発明。
●ベルク「3つのオーケストラ曲」
大正5年 (1916)
●Out of the inkwell (Fleischers) Kokoが初めて登場。
●グリフィス「イントレランス」80年後期、大友直人指揮の音楽付きで(まさに鳴り物入りで)日本で再上映された。最後にオーケストラの演奏とともに提供会社の会長が出てきて挨拶したのにはなんじゃろかと思った。
大正6年 (1917)
●ラヴェル「クープランの墓」。
大正7年 (1918)
大正8年 (1919)
●真空管の発明者リー・デフォレスト, 独自のシステム「talking picture」で音付きのフィルムを作り始める。
●WE(Western Electric; AT&Tの子会社)、デフォレストのライセンスを元に、PA装置を公開。
●伴奏楽譜集「キノビブリオテック」ベルリンで出版
●ガーシュイン「スワニー」
大正9年 (1920)
大正10年 (1921)
●GE(General Electric)のチャールズ・ホキシー、光学式録音システムで大統領演説を撮影。
●ハンス・リヒター「リズム21」長方形で構成された光の音楽。フィッシンガー的世界の予兆。
●エッゲリング「対角線交響曲」バウハウス風ネオンサインのような映画。
●ウィーネ「カリガリ博士」ブロードウェイでは劇場指揮者の判断で「牧神の午後」や「ティル・オイレンシュピーゲル」が演奏されたらしい。
●オーマンディ、ハンガリーからブロードウェイへ、キャピトル劇場でコンサートマスターに。この頃、映画の幕間にオーケストラの演奏があるのが通例で、キャピトルの演奏はラジオの定時番組でもあった(まさに「幕間」音楽!)。(フィルム・ミュージック/岡俊雄)
大正11年 (1922)
●ディズニー、「ブレーメンの音楽隊」などの「Laugh-O-Gram」シリーズを始める。
●「鉄路の白薔薇」オネゲル、パシフィック231の元。
大正12年 (1923)
●ヴァレーズ「Hyperprism」初演。
大正13年 (1924)
●Fleischers, 初の音付きフィルム「Oh, Mabel」を作成、これはKo-Koの「Song Cartunes」シリーズの第一弾。観客は大合唱だったという (p 32, The Fleischer story)。
●このシリーズであのバウンシング・ボールが初めて使われた。はじめ、ボールはアニメーションで描かれていたが、後に実写されるようになった。古い洗濯機のドラムに歌詞を書いた紙を巻きつけ、ピンポン球を先につけた黒い棒を動かした。撮影と同時に歌が録音されたので小さな失敗も許されなかった。 (p 33-34, The Fleischer story)。
●W. McCay以来、アニメーションにはシーンの長さを測る指標がなかった。Song Cartunesは時間を測る方法としても画期的な発明だった。
●ディズニー、「Alice Comedy」シリーズを始める。
●「幕間」サティ、バレエの幕間に上映。
●バラージュ「視覚的人間」
大正14年 (1925)
●エイゼンシュタイン「戦艦ポチョムキン」音楽エドマンド・マイゼル。
●レコードが電気録音に。
●RCA、GEのフォトフォンを導入、デモンストレーションを行う。
昭和元年 (1926)
●Fleischers,DeForestと組んで、音付きのアニメーション「My Old Kentucky Home」を作る。
O. Fischinger、ハンガリーの作曲家A. Laszloの演奏に合わせて3つのスライドプロジェクタと2台の映写機をオーバーラップさせた映像を実演する。後に「R-1, A FORM-PLAY」となる。
●サリヴァン「サーカスのクレイジーキャット」音楽ヒンデミット。まだ聞いたことがない。
昭和2年 (1927)
●Inkwell Imps (Fleischers)シリーズ始まる。
●FOX、リンドバーグの大西洋横断をデフォレスト、ケースらの光学録音「サウンド・オン・フィルム」システム(ムービートーン)で報じる。こうした音つきのニュースは「ニュース・トーン」と呼ばれた。
●WB「ジャズ・シンガー」、ヴァイタフォン(ディスク式録音再生システム)、実際にはごく一部にのみ音が付けられた。
●ヴァイタフォンは摩耗が早く、良質の再生音が得られるのは20回程度だった。30-31年頃、WBはヴァイタフォンから光学録音に転換した。(フィルムミュージック/岡俊雄)
昭和3年 (1928)
●ディズニーとアブ・アイワークス「蒸気船ウィリー」Powers Cinephoneを用いたディズニー初のもの。各フレームの左横には手書きの「バウンシングボール」が描かれ、これを元にオーケストラが曲を付けた。("Before Mickey p212-")
●牛の歯をミッキーが叩く下りは、後年、DEVOの"The Day My Baby Gave Me A Surprise"でカバを使って繰り返されることになる。
●ポピュラー曲とオリジナル曲をまぜて使うのは、伴奏家出身のC. Stallingには自然なスタイルだった。しかし、ポピュラー曲を使えば著作権料を支払わなければならない。これ以降のシリー・シンフォニーでしばしば用いられたのは、著作権をクリアしてポピュラー曲を使うのではなく、ポピュラー曲に似せてオリジナルを作るという手法だった(J.B. Kaufman 参照)。
●WB「紐育の灯」初のオリジナルトーキー
昭和4年 (1929)
●Bradley, LAのラジオ曲で指揮者となる。またディズニーのスタジオでピアノを弾く。「当時はカッティングがなくて、すべて1トラックに同時録音だったんだ。せりふも効果音も音楽もみんな同時だったんだよ。」("Film Music" 2nd ed.)
●Fleischers, 「スクリーン・ソングズ・カートゥーン」シリーズ (2/5)。「Talkartoons」シリーズ (10/25)。
●ディズニー「骸骨の踊り」シリー・シンフォニーの始まり。ここでもサン・サーンスが。
昭和5年 (1930)
●Harman-Ising, WBで活動開始。
●Dizzy dishes (Fleischers, 8/9)最初のベティさん。
●F. MarsalesがWBの音楽担当(-1933)
●C. Stalling、Ub Iwerks の「カエルのフリップ」に音楽を付け始める。
●コクトー「詩人の血」音楽オーリック。
●Korngold「2つのバイオリン、チェロ、左手ピアノのための組曲」パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱。
●ガーシュイン「I Got Rhythm」
昭和6年 (1931)
●One more time (Ising,10/3) 音楽F. Marsales?街路の中央を進むドラッギーな映像。
●The lost chick, Bradley初期の音楽。
●Any Little Girl That's A Nice Little Girl (4/16), ベティ・ブープ登場のスクリーン・ソング・カートゥーン。バウンシング・ボールにアニメーションが使われる。
●チャップリン「街の灯」指揮したのはA. ニューマンだった。
●O. Fishinger 「Study No. 7」McLarenはグラスゴーでこの作品を見て「これだ!」と思った、という("Creative Process")
昭和7年 (1932)
●Let Me Call You A Sweetheart (Fleischers, 5/20), スクリーン・ソング・カートゥーン、サザエさんうちあけ話みたいな歌詞表現。
●この頃には光学的に数本のサウンドトラックをダビングする技術ができる。(磁気テープの登場は大戦中のドイツ)
昭和8年 (1933)
●One step ahead of my shadow (Ising, 2/4) 中国のような日本、富士山、鳥居。
●The old man of the mountain (Fleischer, 8/4) Betty & Cab Calloway。
●N. SpencerとB. BrownがWBの音楽担当(-1936)
●「キングコング」Steiner。
●「ロビンフッドの冒険」WB, コンゴルド。
●ラヴェル最後の作品「ドルシネア姫に思いをよせるドン・キホーテ」を書く。シャリアピン主演の映画の歌曲になるはずだったが実現しなかった。
昭和9年 (1934)
●この頃からブラッドリーはHarman-Isingの下でスコアを書いている。オーケストラは17、8人。
●ショスタコヴィッチ「ジャズ組曲」。
●Korngold渡米。
昭和10年 (1935)
昭和11年 (1936)
●Avery、WBで仕事を始める。
●C. Stalling, WBで仕事を始める。
●Miss Glory (Avery 3/7)カッサンドル風のアールデコ背景、Avery2作目。音楽はまだ一定を保つ。
●I love to singa(Avery 6/18)ふくろう息子のジャズ・シンガー。劇性をきちんと備えた音楽。アニメーターはチャック・ジョーンズ。
●O. Fischinger, ストコフスキーとの共演を申し出るが断られる。
●O. Fischinger「An Optical Poem」(MGM)この後ハンガリア狂詩曲第二番を使ったすべてのアニメーションはこの作品の残響に過ぎない(Cat Concertoも?)。
昭和12年 (1937)
●ブラッドリー,Pacific cast musicianで shock chordを使い始める。("Film Music" 2nd ed.)
●Raymond Scott, "Powerhouse" を作曲。
●ディズニー「白雪姫」。リー・ハーライン。
●バルトーク「二台のピアノと打楽器のためのソナタ」。
昭和13年 (1938)
●ブラッドリー, MGM カートゥーンの作曲家兼指揮者となる。
●「子守歌やせわしない動きの曲をかき集めてスライドホイッスルとかノイズメーカーでつなげて、カートゥーン音楽でございとすましているのは誰にでもできる。」(Bradley,"Film Music" 2nd ed.) p 182) Screwball Squirellの効果音ギャグを思い起こさせるコメントだなあ。
●アドルノ「音楽における物神的性格と聴取の退化」
昭和14年 (1939)
●Thugs With Dirty Mugs (Avery, 3/6) ギャングもの。畳み掛ける新聞記事、ギャングものならではのめりはりのきいた音楽。
●The Mad Maestro (Harman 12/30) マエストロもの。後のAveryの原形?。さすがに間が大時代的。これはテンポ・ルバートではないのか?
●MGM「オズの魔法使い」
●RKO「風と共に去りぬ」スタイナー。
昭和15年 (1940)
●The Wild Hare (Avery) 最初の(キャラクターとしての) Bugs Bunny。
●Puss gets the boot (Tom & Jerry, 2/10) 最初のTom & Jerry。
●ディズニー「ファンタジア」音楽ストコフスキー。O. Fischinger の「トッカータとフーガ」。サウンドトラック君。
昭和16年 (1941)
●C. Stalling, R. Scottのカタログから選曲を始める。
●ブラッドリー, 「dance of the weed」(1941*)で、アニメーションより前にスコアを書く。ルバートやアッチェランド、リタルダンドを駆使。「この頃ようやく、アニメーションができる「前」に音楽を作らせてもらえるようになったんだ」("Film Music 2nd ed." では、1944年となっているが、おそらく間違い)
●Fleischers「スーパーマン」(9/26)「バッタ君町へ行く」(12) 。バッタ君の音楽は「白雪姫(歌曲以外)」「ピノキオ」を担当したリー・ハーライン。地下バーの描写がすごい。
●ウェルズ「市民ケーン」音効J. G. Stwert。
●フォード「わが谷は緑なりき」A. Newman、属7の和音の魅力、ディーリアス発、モクウッド経由でハリウッドにもたらされたオーケストレーション。
昭和17年 (1942)
●Blitz Wolf (Avery, 8/22)。
●Fraidy cat (Tom & Jerry, 1/17) 恐怖もの音楽。
●Steiner「カサブランカ」
●Super Mouse (Terrytoon, 後にマイティマウスとなり、オペレッタ調が加味される)
●マクラレン「ヘン・ホップ」カントリーで跳ねるめんどり。
昭和18年 (1943)
●Dumbhounded (Avery, 3/20) Droopy デビュー。Northwest hounded poice の原形。
●Red hot riding hood (Avery, 5/8) MGM的ミュージカル要素を入れた音楽面も秀作。
●Who killed who (Avery, 6/19) オルガン一本で綴るホラー映画パロディ。
●Wackiki Wabbit R. Scottの「The Penguin」が用いられる。
昭和19年 (1944)
●Screwball Squirrel (4/1) 伝統的な効果音を皮肉った作品としても注目。終盤、Squirrelが効果音を実際に鳴らしてみせるところ。
●Bradley, 「dance of the weed」で、アニメーションより前にスコアを書く。ルバートやアッチェランド、リタルダンドを駆使。「この頃ようやく、アニメーションができる「前」に音楽を作らせてもらえるようになったんだ」("Film Music" 2nd ed.)
●マクラレン「カヌーで」フォークソングに合わせて19世紀のピープショーをくぐり抜けるような愉しみ。
昭和20年 (1945)
昭和21年 (1946)
●「Rabbit Rapsody」ハンガリア狂詩曲を弾いてThe Cat Concertoに先んじた。
昭和22年 (1947)
●The Cat Concerto (Tom & Jerry, 4/26)アニメーション前にスコアを書くことでテンポ・ルバートに。
昭和23年 (1948)
●このころから「マイティマウス」にオペレッタ調が加味される。
昭和24年 (1949)
昭和25年 (1950)
昭和26年 (1951)
昭和27年 (1952)
●Magical Maestro (Avery, 2/9), あんたええかげんにしなはれ。
昭和28年 (1953)
●Quimby退任、Bradley, 音楽の全権をHana & Barberaから依頼される。
昭和29年 (1954)
●Dixieland Droopy (Avery, 2/20), 音楽はポストレコーディング処理が中心。でも泣かせる話やないけ。ノミが休憩から戻るところが好き。
昭和30年 (1955)
●マクラレン「Blinkity Blank」モーリス・ブラックバーンの音楽の譜面は、五線譜ではなく三線譜、音の中高低の指定があるだけだった。はじける線!
昭和31年 (1956)
●There They Go-Go-Go (Jones, 2/9), ロードランナー。ゥイゥイ、と聞こえるような気がする。Stalling project CDにまるまる収録されている。
昭和32年 (1957)
●MGMカートゥーンセクション閉鎖。
●Bradley引退。("Film Music" の記述(1958)は間違い?)
●Raymond Scott, クラヴィヴォックスを作る。
昭和33年 (1958)
●C. Stalling引退。
昭和34年 (1959)
昭和35年 (1960)
昭和36年 (1961)
昭和37年 (1962)
昭和38年 (1963)
●WB, カートゥーンスタジオ閉鎖。
●C. Jones, Tower 12 Productionを設立。
●Pent-House Mouse (C. Jones), TV版のトムとジェリー。
昭和39年 (1964)
昭和40年 (1965)
昭和41年 (1966)
●Matinee Mouse (T. Ray), かつてのトムとジェリーが引用されたTV作品。
昭和42年 (1967)
昭和43年 (1968)
●WB カートゥーンセクション閉鎖




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