焼き栗屋のコンロの横には電話帳があって、注文のたびに1ページちぎってコーンの形にする。そこにいっぱい入れて一人分。食べ終えて開いてみると薬局 Medicos のページだった。占いみたいだな。
昨日買った絵はがき本を見ながら考え事。
はがきは開かれている。これは比喩ではない。
はがきは封書の後に誕生した。電報の誕生によって、簡便な通信の必要性が郵便にも求められるようになった。さらには旅行ブームがその必要性を加速した。旅先からのちょっとした便りを書くのに、仰々しい封蝋を押す封書を用意するのはいかにも不便だった。
はがきの重要性は何度か提唱されたにもかかわらず、簡単には認められなかった。人から人に手渡される際に文面が丸見えであることに対して、19世紀半ばごろにはまだまだ懸念があった。
公的機関の中にはがきの使用に反対するものがあったことは、いまでは理解しがたいかもしれない。絵はがきだと他人のメッセージや私的な話が簡単に読まれてしまうので、自分の悪意や敵意をぶちまけ誹謗中傷するのにふける者が現れやすくなるだろう、と考えられたのだ。また、半ペニーのはがきは無礼であると考える者もあった。メッセージに1ペニーすら払わないということは、そのメッセージが送るに値しないということだ、と考えられたのだ。 (The Picture postcard and its origins 2nd edition, F. Staff, 1979)
しかし、はがきは公的な規制を越えて流通し始めた。集配人に見られること、郵便配達人に見られること、あるいは女中や家族に見られること、そのような可能性を人は厭わなかった。それまで封書によって閉じられていたメッセージは、絵はがきという形態によって開かれ、それは誰かに見られることを許すようになった。
この「少しくらい見られても構わない」という感じは、ネットに何かを書き込むときの気楽さに似ていて興味深い。
リスボンには壁のいたるところにアズレージョがほどこされている。アズレージョ、というとなんだか異国情緒だが、ありていに言えばタイルのことだ。藤森照信氏が建築探偵の本に、タイルは銭湯感覚を喚起する、というようなことを書いていたと記憶するが、その伝で言えば、リスボンは街中が銭湯である。だいいち河が近くて、歩いているだけでひたひたと水の気配がする。あたりはタイルだらけ。いまにもお湯びたしになりそうだ。湯に浸かりたければ下の旅行者向けの通りを歩けばよいし、溺れたくなければ丘に上がればよい。
ロシオ広場の靴磨き屋の一人は、木箱だか段ボール箱だかを安いビニルテープでミイラのようにぐるぐる巻きにして、その上から使い捨てられたテレカをびっしりと貼っている。こちらのテレカは硬くて分厚くてテカるので目にボリューム感。これも一種のアズレージョ感覚か。
そんなリスボンには、タイルの博物館、国立アズレージョ博物館がある。
宿からはおよそ東の方角にあるので、とりあえず東に向かうバスに乗ると、途中からどんどん北にずれて丘にのぼってしまう。隣の初老の女性が、ほらほらあれをご覧なさい、というので窓の外をよく見ると、街路樹にディズニーの映画に出てきそうなとんでもない大きさのキノコが生えている。
バスは間違えたが1upキノコを見た。一勝一敗。気を取り直して今度は番号を確かめてバスに乗り、無事に博物館に着く。
タイルパラダイス。体中ずぶずぶ銭湯に浸からせていただく。デルフトのタイル博物館もよかったが、ここがデルフトとちょっと違うのは、壁面を覆いつくそうとする意欲だろう。階段であろうが踊り場であろうが回廊であろうが、とにかくアズレージョで覆う。踊り場から階段に移るときは、タイルを斜めに切ってつなげる。窓が斜めに切ってあるときはタイルを菱形にする。
とくに驚かされたのが、リスボン沿岸を描いた長大なタイルで、二、三十メートルはあろうかという回廊の壁面が、延々とタイルで覆われている。景観は次々と切り替わる。タイルを並べ続ける情熱と絵を連続させる情熱が重なって、とんでもない長さのパノラマが描かれてしまっている。凝った絵のアズレージョはいくつもあったが、このパノラマがいちばんとんでもなかった。
アズレージョの魅力は、基本的にはシンプルさにあると思う。単一の模様のアズレージョを90度ずつ傾けることで、思わぬ模様が生まれる。やがて、90度傾けることを意識した幾何学模様が発明される。一つのアズレージョの四方に接続の論理が設けられ、アラベスクが生まれる。
すっかり堪能して外に出て散歩すると、目がアズレージョ慣れして、あちこちが幾何学模様の連続に見える。
午後、まだ時間があるので、一昨日ごくおおざっぱに教わったメトロの駅に行ってみたものの、四方八方に通りが出ていてしかも店だらけで、到底探し当てられるとは思えない。とりあえず本屋や写真屋で聞いてみるが、たどりつくとただの本屋だったりただの現像屋だったりする。いささか歩き疲れたところで、骨董屋ではないが、趣味のよさそうな本をウィンドウに飾ってある店があるので、入って心当たりを尋ねてみる。すると、どうやらこの店と同じ経営者の店舗が別の場所にあって、そこに古い写真がたくさん置いてあるという。
そこでまたメトロに乗り、言われた場所に行ってみると、なるほど「写真アーカイブ」という看板が出ている。地上階は写真展をやっていて、幻灯機やステレオ写真も置いてあり、趣味が合いそうな場所だ。階段があるので上に行けるかと聞いてみると、もうすぐ閉まるからとか書類に書き込んでもらう必要があるかもしれないとかいろいろ言われる。が、待つことしばし、結局書類も何もなしで上がることは許された。
上の資料室にはパソコンがずらりと並んで、どうやらアーカイブはデータベースになっているらしかった。客はぼく一人。係の女性がつきっきりで使い方を懇切丁寧に教えてくれる。キーワードが全部ポルトガル語なのではなはだありがたい。ステレオ写真や、リスボンのエレベータの写真をあれこれ探索。
写真資料から歴史を掘り起こす作業は好きなので、19世紀以降のリスボンの話をあれこれするうちに、閉館時間はとっくに過ぎ、彼女は、通りの名前が話に出るたびにデータベースで検索しては昔の写真を画面に出して、その変遷についてあれこれ話をしてくれる。さらにはレストランはどこがうまいとか、日本料理屋はどこがいいとかいう話になり、もはや写真からとめどもなく遠くなり、ずいぶんと長居をしてしまった。