午前中、本を読んだりメモをまとめたり。 解剖学博物館(Josephium)。なぜかLonely Planet Guideの博物館の項目の最初にあがっているこの博物館、月曜日も開いているらしいので行ってみる。 蝋細工の模型がすさまじい。 もちろんブロンドが愁いを帯びた微笑みを投げかけながら自分の内臓のほとんどをぱっくりご開帳して優雅に横たわっている等身大模型もすごいのだが、ぼくが圧倒されたのは、むしろその量。とにかく3部屋を埋めつくす模型につぐ模型。組織を取り除くたびに表われる新しい内臓や筋肉の光景を、そのつど蝋細工として表現しているのだ。 手の模型、足先の模型なんていくつあるのだろう。腱や筋肉のレイヤーをひとつひとつはがし、そのレイヤーごとの模型が作られている。そうか、親指の筋肉って、こんな風に他の指とは違うシステムになっているのか。素人目にも、複雑な筋肉の協調運動がときほぐされていくかのような明快さで、さまざまな筋肉をまとった「手」や「足」が並んでいる。 全身像のリンパ腺の量もすごい。リンパ球の一粒一粒で結ばれたリンパのネットワークが、アミガサタケのように身体の表面をおおっている。あるいは専門家ならこれらのリンパ腺のひとつひとつの名を呼び、ささいな間違いを指摘することができるのだろうか。しかし、そんな必要も吹き飛ばしてしまうほど、夥しい網の目。これがまた、何体もある。 この精巧な(と素人目には見える)蝋細工は今世紀の産物ではなく、なんと18世紀の末にイタリア人の手で作られていた。フロレンスで作られた模型ははるばるアルプスを越えてウィーンに運ばれ、輸送費だけでも相当なものだったらしい。 客はほとんどいない。日本人らしき人がいるので声をかけてみると臨床医の人だった。ダ・ヴィンチの解剖図にはあちこち間違いがあるが、この蝋細工はそれに比べると相当進歩している、とのこと。つまり、イタリアではダ・ヴィンチから数百年を経て医学側からも美術側からも解剖学的知識の蓄積があったというわけだ。 知識じたいはむろん医学からの需要によって充実していくわけだが、それを立体や平面として表現する、というレベルでは、イタリア美術の伝統が大きく貢献した、というところか。 せっかくウィーンに来たので音楽を聞きに行く。ブラームス・ザールでキュッヒル・カルテット。 キュッヒルの甘い音は、ときに部屋全体を鳴らして凄まじく、曲やフレーズの文脈を忘れて、単純にフォルテが天井から降ってくるような気持ちよさを何度か味わった。 が、キュッヒルのダイナミックスに比べて第二バイオリンの音の幅があまりに小さく、アンサンブルとしては「?」。いちばん良かったのはたっぷりフレーズを膨らませたウィーン菓子のようなメンデルスゾーン。一曲めのハイドンの掛け合いはメリハリに欠けたし、最後のドヴォルザークのリズミカルなパッセージではアンサンブルがガタガタ、チューニングもよれよれで、思わずうつむきたくなる出来。 |