朝、タクシーで飛行場へ。頭に焼きつくような黄色い街灯の色。 空港で買ったJan-Andrew Henderson「The town below the ground」。いわゆるエジンバラ怪奇大作戦かと思って読み始めたら(後半はそうなんだけど)、意外にも中世以降のエジンバラ・オールド・タウンの歴史があれこれ書いてあって、こちらの興味にどんぴしゃりだった。 なぜエジンバラであんな風に橋の下から積み上げるような高層建築ができたか。この本によれば、その歴史は中世に遡る。 そもそもキャッスルヒルから下る斜面は「宅地 tenement」と「エンクロージャー enclosure, close」に分かれていた。エンクロージャーはもともとは穀草や牧草地にぽつぽつ集落がある場所だったが、人工の増加とともに宅地化された。これに拍車をかけたのが16世紀のジェームズ4世とイングランドとの戦いで、これに敗れたエジンバラでは、Flodden Wallを強固にし、北側の谷に水を入れてノース・ロッホ(湖)とし、その内側の狭い領域にのみ街を作ることにした。その結果、やがてエンクロージャーは高層建築で埋まり、そのスキマが「クローズ」となった。 かつて一戸建てだった家の上には次々と部屋が増え、日照は奪われた。クローズには、「ガーディルー」というかけ声とともに上の階から汚水が流された。ノース・ロッホはそうした汚水が流れつく先となり、ひどく臭った。 丘陵によるアップダウンを解消するために、エジンバラには5つの橋(ノース、サウス、ジョージIV、レジェント、キング)は1765年から1833年の間に架けられた。この時点で、ノース・ロッホは再度埋め立てられ公園となり、その底には鉄道が敷かれた。産業革命とハイランド・クリアランスが人口増加に拍車をかけ、橋の両側、そして橋の下、さらには丘に穿たれるように次々と住居が建設された。 これらの橋下は、一種のスラムとなる傾向があり、とくにサウス・ブリッジにいたってはほとんど橋げたの姿が隠れるほどになった。最初から計画的に一気に作られたものではないため、住居によっては独自の通路で地上と通じていたり、部分的に通路を共有するなど、垂直水平移動は複雑になり、場当たり的な構造になった。 さらに、火事や高層の崩壊による住居の焼失や埋没もあちこちで起こり、ある住居は埋め立てられ、ある住居はまったく立て直された。 こうした経緯が「改修しようと壁を壊したら幽霊が出てきた」「家の奥に誰も知らない抜け穴がある」といった現在のエジンバラの都市伝説を生んでいるらしい。 ちなみに、当時Netherbowの門は「世界の果て」と呼ばれていて現在も「ワールズ・エンド・パブ」がある。スコットランド民話に出てくる「世界の果ての井戸」の話って、こういう背景から出てきたのかな。 夕方、ウィーンに到着。地下鉄を乗り継いで予約していたPension Aniへ。新品の部屋でいい高さのテーブルがあって550ATS。ゆっくり本でも読むか。 |