朝の仕事は洗濯と宿替え。アタウちゃんに紹介してもらったホテルはバス・トイレ・TV付き個室で286F。パリではかなり安いほうだろう。 カフェでWall Street Journalを読んでからパサージュをあちこち歩く。 パサージュをノスタルジーから切り離すこと。ノスタルジーとは、単に日付の古さからやってくるのでもなければ、そこにあるものの古さから直接やってくるものでもない。むしろそこに現前しているできごとがもたらす感覚の変化が、まず私達に、そこがいつもと違う世界であることを知らせる。ノスタルジーは、そうした世界の異質さを、私達に近しい何ものかに落とし込んだ結果として表われる。ノスタルジーを駆動させ損なうこと。日付から古さを剥奪し、数字の魔を明らかにすること。 そういえば向こう岸にほとんど行ってなかったと思い、散歩がてらアウステルリッツ駅へ。少し歩くと「ビュフォン通り」というのがある。そして、ここの植物園は、パリロワイヤルより瀟洒でかわいい。「Grande Gallerie de l'evolution」とある。ビュフォンに進化なら行かざるをえない。ついでにそばには「キュビエ通り」もあった。固有名詞のついた通りは、名前を見るだけで近くにあるものの気配がする。 その「Grande Gallerie de l'evolution」に入ってみる。昨日の事件のせいだろう、入口チェックがあって、カバンの中をいちいち確かめられた。 進化大ギャラリー。博物館の夜。暗い照明の中で動物たちのはく製の部分にだけ緩い光が当たっている。絶滅寸前の動物たちの部屋はことに暗い。 透明なエレベーターの回りには鳥や樹上生活動物が配置されている。下の階を見下ろすことで、目の前にいる動物のいる高さが実感できる。テナガザルは木登りをすることで、これほど高い景色を体験している。キリンの首の少し上がすでにこんなに見晴らしがいい。そういうシンプルなことがよくわかるように作られている。 ノートルダムに寄るとちょうどミサだった。高いステンドグラス。マイクと生の声のバランスがすばらしい。オルガンの和音の濁りが解決するまでの長い持続に気が遠くなりそうだった。 ミサの後に続く低い鐘。いつものミサの後にアメリカの犠牲者を悼む特別のミサが行わるとのこと。誰でも入れるはずだし、昨日以来、ずっと頭のうしろがじんとなったような気分で街を歩いているのだが、そういうミサは、カソリックか犠牲者に近しい人のためにあるものだと思って外に出る。 こんなとき、何かを祈った方がいいのかもしれない。でも、それにふさわしい場所は、いま目の前にある、この大教会だろうか。 表に出てその圧倒的な装飾のほどこされたファサードをしばし眺める。信じることと狂信することの差はどこにあるだろう。ノートルダム寺院のファサードの彫刻のひとつひとつに長い年月がかけられている。それは何世代にも渡ることもある。一方、飛行機をハイジャックし自爆することは、一点の瞬間に向かって命がかけられている。何かを作ることと何かを壊すことの間にある、生に対する時間感覚の差。 ウサマ・ビン・ラディンが語ったとされる「アメリカは意外に弱い」ということばは、ある意味でまったく正しい。作り上げたものは弱い。崩れない塔はない。現在ある塔は、建っていることが奇蹟なのだ。このノートルダム寺院も、未来永劫建ち続けているかどうかはわからない。ジャンボ・ジェットが当たっても壊れませんと豪語されていた世界貿易センターも壊れる。作り上げられたものは意外に弱い。それは当り前のことだ。その弱い形を保ち続けることの方がずっと難しい。テロによって証明されることは、あまりにも当然のことでありすぎる。 近くのタイ・ファーストフードを食べて帰宅。 新聞やTVで取り上げられている各国のコメントに日本の首相のものは見られない。代りに取り上げられているのは真珠湾攻撃だ。アメリカの政治家たちが「これは第二のパールハーバーだ」といったこともあってか、フランスのTVでは繰り返し真珠湾攻撃の映像が取り上げられている。つまり、これは単なるテロリズムを超えて、戦争の火ぶたを切ったに等しい、という考え方がそこでは表われている。逆の見方をすれば、真珠湾攻撃が、一種の巨大テロリズムとして捉えられ直されている感もある。 ウォールストリートジャーナルの小見出しには「To wage war, allies must first find the enemy」(報復の戦いにあたって、連合国はまず敵を見つけねばならない)としている。真珠湾攻撃と違うのは、今回の敵がいまだ特定できない点だ、という内容だ。 パレスチナでキャンディーを配ったり大声でお祝いを述べる人の映像。いかにも現在のアメリカを逆撫でしそうな映像だし、CNNはそういう効果を狙っているのだろう。 でも、これまで何年もの間、絶え間ない戦いの中、いつ銃や爆撃が自分に向けられるか分からない中で生きてきた人々が、それまでの鬱屈を晴らすかのように今回の事件を喜んだとしても、それを道義的に非難することはできない。むしろ、そんな風に反応してしまうほどに、パレスチナは圧し殺されてきたのだということを、改めて強く感じる。 |