手の来歴

こうの史代『この世界の片隅に』双葉社

 小刀で鉛筆を削って名前を書く、というと、若い人にポカンとされた。
 年配の方ならご存じだろう。六角鉛筆の尻の一面を、小刀で薄く平らに削る。塗料が剥がれて軸の木が現れる。そこに別の鉛筆で小さく、自分の苗字をかきつける。漢字を書くには狭すぎるし、曲線の多いひらがなでは木目にひっかかるから、字は自然と、角張ったカタカナになる。
 最近の小学校でも、文房具に名前を書く「しつけ教育」は行われているらしい。でもそれは、あらかじめ白い氏名欄のついた鉛筆に、油性マーカーで名前を入れるとか、名前の印刷されたシールを貼るといった、いたって現代的なやり方だ。それも、あくまで入学したての一年生のやることで、二年三年になるにつれ、名前なんぞを入れた鉛筆を持つのは恥ずかしくなるという。
 そういえば、1960年生まれの同級生にも、そんな古くさいやり方をしている者は他にはいなかった。わたしにそんな習慣があったのは、鉛筆をことのほか大事にする母に仕込まれたからである。

 こうの史代のマンガ『この世界の片隅に』上巻に収められた小編「波のうさぎ」を読んで真っ先に思い出したのは、この、古いやり方のことだった。戦前の広島市の小学校を描いたページの終わりに、鉛筆を持った主人公の右手が大きく描かれている。柔らかい曲線を持つその子供の右手は、親指の長さほどの鉛筆を握っている。その鉛筆の尻に、カタカナで名前が書かれているのである。縦に名前を入れることもできぬほどちびるまで使うからなのか、鉛筆の尻は、六面を一文字分だけ削ってあり、それぞれの面には主人公浦野すずの苗字が「ウ」「ラ」「ノ」と一文字ずつ書きつけてある。指先で握る感触に塗料と軸木の匂いが混じるような一連の絵を見て、ああ、これはまるで自分に宛てて書かれているみたいだと思った。

 実を言えば、ビニルに包まれたこのマンガが書店で平積みにしてあるのを見たときに、もう他人事ではない気がしていた。帯に「呉」という文字が見えた。『夕凪の街、桜の国』でヒロシマを描いた作者が、戦中戦後の呉のことを描いているらしい。それも長編で。そう知っただけで、本をつかんでレジに向かっていた。
 わたしの両親は、呉で生まれ育った。祖父は呉で絵を教えていた。母はマンガの舞台である戦前戦中の呉で、鉛筆の先を小刀でとがらせ、尻の塗料を平らに削り、そこに苗字を入れた。マンガの中の右手は、簡潔な輪郭で描かれているけれども、簡潔な輪郭だからこそ、幼い母の手を写し取ったようにも見え、関西に生まれ育ったわたしは、母の所作に埋め込まれていたこんな来歴をなぞって、鉛筆に苗字を書き込んでいたのだと、不意にあたたかい感情に襲われた。

 そして、この、さりげないコマに惹きつけられるのは、何もわたしのような来歴を持つ者ばかりではないはずだ。作者の描く、手の輪郭には、独特の素直さと柔らかさがあって、それは、自分の手をしげしげと見るときのまなざしがこめられているようで、こちらの目をとどまらせる。
 そもそも、わたしたちは、ふだんの手の形を、はっきりと知っているわけではない。入念に手入れしたネイルを眺めて飽きない人も、その手がふだん、どんな形で触れ、どんな形で握られているか、はっきり意識しているわけではないだろう。わたしたちは自分の所作をいちいち目で追うわけではないし、目に入ったとしても、あまりにさりげなくて意識から逃れてしまうからだ。
 そんな風に意識からこぼれる手の形を、作者は注意深く拾い上げて、繰り返し、こちらの意識にのぼらせる。

 たとえば、『この世界の片隅に』上巻に収められた最初の小編「冬の記憶」を読んでみよう。この白昼夢のような物語には、とても印象的なコマがいくつかあるのだが、それがいずれも、手のコマなのである。
 広島の街におつかいに行った主人公すずに、黒マントをかぶった不思議な風体の男が、遠めがねを差し出す。その一コマに描かれた手は毛むくじゃらで、指先には禍々しいほど長く伸びた爪が生えている。あたかも、人間の店に手袋を買いに来た子ぎつねの差し出す手のように、それだけで正体をもらしてしまう手なのである。不思議なことにすずは相手の手の異様さにまるで頓着しないので、読んでいるこちらにはよけいにこのコマが強く印象に残る。
 すずはまんまと男の背負いカゴに放り込まれ、同じくかごに放り込まれていた一人の少年と話してようやく、男は人をとって食う「人さらい」だったのだと気づく。二人は人さらいを眠らせて、無事、背負いかごから脱出するのだが、少年は逃げ際に、眠っている人さらいの手にキャラメルの箱を握らせてやる。「ばんめし抜きは気の毒なけえの/いくらばけもんでも」という情深さも泣かせるが、読んでいるこちらは、少年がキャラメルを渡す手を描いた一コマに惹きつけられる。そこには、少年の手と、人さらいの手と、キャラメルの箱が描かれている。キャラメルの箱は、まるで標本写真のなかに置かれたタバコの箱のように、少年の手の大きさと人さらいの手の大きさとを比べさせ、二つの手の形の持つ不思議な違いを比べさせる。大きな手にはほんの指先ほどのキャラメルが、小さな手には余るほどで、なけなしのたべものを与える少年の人情が伝わってくる。

 「冬の記憶」「波のうさぎ」、そしてコンテのような太い筆致で描かれた座敷童子譚「大潮の頃」、これら三つの小編に埋め込まれたさまざまな手がかりを、作者は改めて説き起こし、同じ主人公のその後を長編「この世界の片隅に」に描いた。物語は昭和18年おわりから昭和21年はじめの二年余にわたり、ちょうど、平成18年おわりから平成21年はじめの二年余にわたって「漫画アクション」に連載された。実時間に寄り添うように描かれたせいだろう、物語は必ずしも急いでいない。最初はこれが戦中期を描いたマンガなのかと思うくらい淡く、暢気にさえ見える。けれども、巻が進むほどに、その淡さが幾重にも重ねられ思いがけない物語となっていくことに気づく。同じ長さの年月に生きることで、作者は、遠く離れた時間と場所に現れる不思議な符丁を感じながら、その符丁を手放さぬための、長く確かな呼吸のあり方を探り続けたに違いない。異なる技法で繰り返し描かれる手の形の丁寧さ、長い物語のあちこちで双子のように現れてはこちらの時間感覚を揺らすコマ運びからは、作者がいかに二年余という時間を過ごしたかが伝わってくる。

 絵を描くことが好きな主人公すずの右手は、何度も広島を描き、呉を描く。作者の右手は、コマの外側から差し出されながら、コマの中に絵を描き込む。描かれた時間と描く時間は、描く手を通して、遠い時間を越え、響き合おうとしている。それは、ページを繰りつつあるわたし自身の手の形を思い起こさせ、その来歴を響かせる。
 そんな風に幾重にも重ねられたこの手は、誰の手だろう。東京に住むあなたも、ぜひ読むといいです。



(評:細馬宏通「東京人」2009年8月号 p148-49)

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