Texture Time: 16 February 1998
京都 -> 南彦根
乗り過ごす、ということはどのようにして可能になるのだろう?
98.2.16 11:07 PM
さっき、京都市バスに乗りながら、ぼくは眠ってしまった。
98.2.16 11:08 PM
運転手に起こされた。
98.2.16 11:08 PM
「220円です」と料金を求められた。
98.2.16 11:08 PM
そのとき、まずぼくのしたことは、なんとかその220円を支払おう、ということだった。
98.2.16 11:09 PM
同時に、この220円に見合う場所に、自分はいるのだろうか、という不安が生じた。
98.2.16 11:09 PM
自分は乗り過ごしているのではないか。
98.2.16 11:09 PM
自分はじつはとんでもない場所に着いてしまったのではないか。
98.2.16 11:10 PM
そのような不安がよぎった。
98.2.16 11:10 PM
と、同時に、「どこに行き着いてもかまわなかったのではないか」という自省がうまれた。
98.2.16 11:10 PM
じつはどこに着いてもよかったのではないか。
98.2.16 11:11 PM
だから自分は眠ってしまったのではないか。
98.2.16 11:11 PM
どこに着いても構わないからこそ眠ったのではないか。
98.2.16 11:11 PM
そのように、自分が移動している手段「バス」に対して信頼を置いていたのではないか。
98.2.16 11:12 PM
今日、大澤真幸氏が「信頼trust」ということを口にしたとき、
98.2.16 11:12 PM
ぼくは「無根拠な賭けをしてもよいと思わせる相手とはどんな相手なのか」ということを考えた。
98.2.16 11:13 PM
誰でも巫女になれるわけではない。
98.2.16 11:13 PM
巫女には資格がある。
98.2.16 11:14 PM
たとえば、ぼくは今眠っていない。
98.2.16 11:14 PM
ぼくはいま、この列車に対して信頼を置いていない。
98.2.16 11:14 PM
眠っている間にこの列車は、ぼくの予想外の場所にぼくを連れていくに違いない。
98.2.16 11:15 PM
そしてその予想外の場所は、ぼくが受け容れがたい場所だ。
98.2.16 11:15 PM
と、この列車に対して不信を抱いている。
98.2.16 11:15 PM
だからぼくは眠らない。
98.2.16 11:15 PM
逆に言えば、眠れるということ、不眠症に陥らないと言うことは、
98.2.16 11:16 PM
眠りに対する信頼なのだ。
98.2.16 11:16 PM
眠ってしまっても、覚めたとき、自分は自分を受け容れられる場所にいるはずだ
98.2.16 11:16 PM
という確信を持っている。それが不眠症に陥らずに済む根拠になっている。
98.2.16 11:17 PM
不眠症とは、眠った後を受け容れることができない病である。
98.2.16 11:17 PM
この列車を眠りの場所として受け容れることができない病である。
98.2.16 11:18 PM
たとえば、草津の次は南草津で
98.2.16 11:18 PM
南草津の次は次の駅で、
98.2.16 11:18 PM
その延長上に、ぼくの降りる駅である南彦根がある、という確信
98.2.16 11:18 PM
あるいは、南彦根を乗り過ごしたとしても、それは乗り過ごして構わないという確信。
98.2.16 11:19 PM
乗り過ごした先の駅に対する確信。
98.2.16 11:19 PM
そんな確信を抱きつつ、人は乗り過ごすのではないか。
98.2.16 11:19 PM
そんな確信を抱きつつ、人は眠るのではないか。
98.2.16 11:20 PM
そんな確信を抱きながら、ぼくはいま、行きすぎる燈火を受け容れている。
98.2.16 11:20 PM
この行きすぎる燈火の果てに、自分を受け容れる場所がある。
98.2.16 11:21 PM
それはいまの自分とは相容れない場所かもしれないが、
98.2.16 11:21 PM
その場所で、相容れない自分を自分は受け容れるであろう。
98.2.16 11:21 PM
そんな確信を赦す場所に、いま自分はいる。
98.2.16 11:22 PM
そんな予感。
98.2.16 11:22 PM
この列車は巫女である。
98.2.16 11:22 PM
この列車が連れていく先を、わたしは信頼しているから。
98.2.16 11:22 PM
市バスが連れていく場所をわたしは受け容れたからこそ、わたしは眠った。
98.2.16 11:23 PM
眠りとは、自分への信頼である。
98.2.16 11:23 PM
守山を受け入れ、野洲を受け容れる信頼である。
98.2.16 11:23 PM