Texture Time: 14 Aug. 1999
Stuttgart -> Luzern
フラッシュとにぎやかな歓声で列車は出発した
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声は前の席から来る
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老人達は周到にも大きな水筒とバスケットにつめた朝食を用意して
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列車にのりこんできた
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そのバスケットから流れてくるチーズやハムの匂いにまかれて
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シュトゥットガルト郊外の森を見ている。
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曇り空にはずいぶん慣れた。
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空の橋にわずかに蒼空がすけてみえるほどの曇天と
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くすんだ緑の取り合わせ
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広場に出る。そこは散光で包まれ、
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薄いグレーのドームをいただく。
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つみかさねられたレンガ色の瓦屋根のくりかえしが
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曇天に肌理を与えている
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瓦屋根の変色したあたりは
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きっと苔が生えている
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その緑の度合いは苔の種類と繁殖の度合いに依存している
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Boblingenの駅舎にそのようなまだらが見える
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古い瓦のいくつかが剥がれ
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あたかもテクスチャを織りなすひとかけらひとかけらの正体を顕わしたかのように
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スレートの上に散らばっている
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名前のわからない鳥がその瓦をつたって
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羽をふくらませる
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列車の架線には、ときおり優雅なカーブで電線が渡されている
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確かな張力ではりめぐらされた架線の緊張を笑うかのように
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老人達は配られた時刻表を大きく広げて見ている
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折り目の付いた紙が緩やかに垂れ、この旅の行程が一枚の曲面の上に見渡せる
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Ihr Reiseplan, あなたの旅のプラン、と
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パンフレットに赤い文字が入っている。
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わたしの旅のプランは赤い縦線によって示されている。
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確かな時刻を伴って
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シュトゥットガルト駅でぼくはSwiss Passを買った
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8日間有効のパスだ
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8日間のあてがあるわけではない。
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どう転ぼうと8日間いることにしよう、とそのチケットを買うときに決めた
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国境を越えた時点からその8日間は始まる
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麦畑の広がり
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家の密度の変化、意匠の変化
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国境を示す手がかりはいくらでもありそうで、じつは曖昧だ
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オランダからベルギー、オランダからドイツに渡るときも、
その国境は意識されなかった
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誰かの「この駅ってドイツ?」という声がして、
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ようやく確かめられた国境
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たとえばいま、山裾に見えているジェスイット風の丸屋根にも、
国境を設定することができる
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Herrenberg
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ぼくのかばんから微かに匂ってくる、
シュトゥットガルトで求めたチーズの匂いからも
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過ぎてしまった国を設定することができる
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あるいはふと会話が途切れて黙る老人達の時間にも。
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使いきったのにまだ財布にはさんであるドイツのテレフォンカードにも。
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そして老人達は朝食後の珈琲をいれ、
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また写真を撮りに一人が立ち上がる
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彼は後ろから撮り
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今度はぼくの前から取る
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老人達の顔の隙間、座席の隙間に、ぼくの顔の断片が映っているだろう
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雲の厚さは、丁度肉眼で太陽の輪郭を捉えられるほどだ。
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3日前に見た三日月のような太陽のように
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雲の薄いところにうろこのような陰影を投げる。
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広々と見渡せる畑の上では、その陰影は丸められ
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麦はすでに金色の時を過ぎ、
透けて見えそうな穂が刈り取られるのを待っている
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植物の名前を探す
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日本語でもドイツ語でも思いつかない木々の名前
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透いた葉から曇天を点描のような曇天を見せる木々の名前
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たぶん老人達なら知っているだろう
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立ち上がって窓辺にぐいと身を乗り出して外を見ている老人なら
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朝から濃いビールの匂いを漂わせている老人なら。
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いま過ぎようとしている町の名を呼んでいる老人なら
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駐車場のそばのマーケットに集っている人々なら
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Horbというのが町の名前だ
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ほう、と感心したようにその音は発音される。
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検札にチケットを渡す
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チケットはシュトゥットガルドからシャウフハウゼンまでで、
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そこからはスイスカードが使える
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スイスカードは見せずにシャウフハウゼンまでのチケットを見せる
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いまはまだドイツにいる
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新しい駅から新しい乗客が乗り込み
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自動ドアが開閉するたびにエアの音がする
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ネックハウゼン
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老人たちの一人が、駅を過ぎるごとにその名前を呼ぶ
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そのネックハウゼンのなだらかな山並みの中に、
草地を囲むような連なりがあって
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そのエッジで、空が書き割りのように切り取られる
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いまはもう、端々に青空がのぞいている空が
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夏の杉の若い枝、
幹の輪郭から大きく伸び出すような枝の長い影の集まりで
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切り取られる
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この列車はその半円にも足らない丘に囲まれるように、
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空をいただく
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よく見れば杉の若枝は、列車が過ぎるにつれそのアングルを変え
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お互いの遮蔽のあり方を変えながら
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エッジという線ではなく、若枝の集まり自体が立体的なできごととなって
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空の前を過ぎていく
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動かしやすいものをエッジと見て
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その向こうに空という曲面を見る
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空に対比されることで境界が設けられ
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山並みともにこの列車も又動いていると知る
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自動ドアのエアの音は
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チュス、というドイツ語に似ている
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その音が、山並みと空の間に確実な対比を設けようとするぼくの耳に入り
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対比を無効にする
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エアが吐き出されるときの摩擦音に似た音の始まり
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始まりの音
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それが、動きによって分かたれようとするこちらとあちら、
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彼我が明らかになる前の
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衝撃を、繰り返し与える
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老人達の声を、知らぬことばとして遠ざけながら
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ドアの開閉の音に驚いてしまう
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人がドアの前に長く立てば、エアの音は長く伸びる
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音の始まりの衝撃が
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分かち得ないことを知らせ続けるように。
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人の声はなぜ
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杉の若枝が伸びるのを許し、分かつことを許すのだろう
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それが空とは違う領域にいることを、許すのだろう
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河を渡る。
99.8.14 11:06
渡る河には方向があって、それはどこかへ流れ着く、
その流れのことを考えるときにはもう河の上を過ぎている。
99.8.14 11:07
ドアのエアが切り込んでくる
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アナウンスが次の町の名前を告げる
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老人たちは会話に夢中だ
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Rottweil、というのが駅の名前だ
99.8.14 11:08
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