「拝啓 本日Sundayの為め朝より友人の処へ遊びに行き又田圃の見える処へ出掛け只今仮宿仕候処君よりの御書状に接し早々開○拝読仕候処目出度御卒業の趣何より大慶至極乍早速御祝まで尚本夜ハ遙かに君を祝して是よりビアホールに盃を挙げに行く 午后六時三五分只今雨パラパラ来る」
日本で私製絵はがきが許可されたのは明治33年(1900)10月。以後、「今世少年」をはじめ、いくつかの雑誌が絵はがきを付録につけることを試みた。春陽堂の「新小説」もそのひとつ。この絵はがきはその「新小説」の明治34年(1901)7月号付録で、日本の絵はがき史の中でも初期のものにあたる。
絵の部分は赤の単色による石版印刷だが、サイズの異なる画面を二つに分割することで薄緑の空白に変化がもたらされている。その空白にちょうど収まるように通信文が書きつづられている。
消印は7月8日。絵はがきの下端は、雑誌から切り取ったことを示すようにミシン目の跡が付いている。手に入れて間もない七月号付録、そのミシン目も新しい絵はがきを、当月の七月に使い、書いている時刻を「午后六時三五分」と記す。最新のメディアを使いながら、その新しさに自分の「いま」を乗せようとする、そんな書き手の呼吸が伝わってくるようだ。
「只今雨パラパラ来る」としめくくられた文面。表書きには「七月七日pm」と書き込まれている。どうやら七夕にはあいにくの天気になりつつあるらしい。