明治大正絵葉書記事拾い読み

(その2)

私製絵葉書と毛生薬

細馬宏通

 郵便葉書の私製が認められたのは明治33年(1900)十月のことで、理屈の上ではそれまでは日本には私製絵葉書は存在しないことになる。しかし、じっさいにはそれ以前に、すでに絵葉書に近いものが現れている。たとえば下のような葉書がその一例。明治31年の賀状で、編集発行人の手によって暦が印刷されている。「絵」というわけではないが、デザイン葉書のひとつと考えてよいだろう。



明治31年のもの。暦の下には「名古屋豊原堂石印」
横には「編集発行兼印刷者愛知県名古屋市下長者町三十三番戸豊原秀次」とある。


 では、明治33年10月以降の、合法的な最初の絵葉書はなんだろうか。明治の事始めを語るときには石井研堂の「明治事物起源」から説き起こすのが常となっており、そこには「私製絵葉書の始め」も載っている。

 明治三十三年十月一日より、私製絵葉書発行許可の逓信省令あり。同五日発行の『今世少年』第一巻九号に、石井研堂案、小島沖舟筆、二少年シヤボン球を吹く図の彩色石版摺り絵葉書を附録として読者に頒つ。これ私製絵葉書の始めなり。
 (石井研堂「明治事物起源」5 ちくま学芸文庫)

 「今世少年」は文章にもある通り、石井研堂自身がかかわった雑誌であり、九月二十日発行の号に、確かに以下のような予告が掲載されているのをわたしも確認した。

 次号予告附録進呈 郵便新令に基きたる繪ハガキを進呈すべし極めて趣味あるハガキを友人に郵到するを得ん。

 しかし、残念ながら現物は見たことがない。附録はえてして保存の際に切り取られたり別になってしまうことが多く、また「今世少年」は発行部数が少ないせいもあってか、現在までその図像が載っている本を見たことがない。彷書月刊「絵葉書道楽」特集・2002.9では、佐藤健二・林丈二・生田誠という日本きってのコレクター三氏がやはり「誰も見たことがない」としている。もし見つかればビッグニュースになるだろう(追記:2005年にこの絵はがきの発見が畑中正美氏によって報告され、まさにビッグニュースとして新聞各紙に掲載された)。

雑誌附録による私製絵葉書、という点では、確かに研堂が記している「今世少年」附録は「始め」と呼ぶにふさわしいかもしれない。が、「私製絵葉書」とはまさしく私製にいくらでも作りうるものであって、この附録以外にもさまざまな私製絵葉書が作られたはずだし、それが今世少年が発行された十月五日以前であった可能性は十分あるだろう。

直接このことを裏付けるものではないが、十月一日の私製絵葉書許可に便乗した巧妙な広告記事が都新聞や毎日新聞に掲載されているのを見つけたので記しておこう。掲載は十月二日である。

絵葉書発行の先登本年八月一日の官報にて発布ありし改正郵便規則に示せる所の本月一日より通行する私製葉書の先登第一に到着せる其数の多きことひょうひょうへんへんとして秋のいなごの飛ぶが如く、之を受取る小僧の有様は恰(さなが)ら餅撒の餅を拾ふに似たり。さて其画様(えやう)と其文句とは銘々心々にて種々(さまざま)なるがまづ其の一二を掲ぐれば出船入船の図を顕はして店繁盛を祝す意を示して注文を申越さるゝあり、又日の出に鶏(にはとり)を描きて其日の儲けは其朝に在りと吉兆を祝して我が毛生液(もうせいえき)の特効を賞せらるゝあり、又大砂漠に草木の生茂れる様を描きて不毛の地にも此の薬効によりて毛の生えたりといふ意を寓(よ)せたるあり。又薬缶に毛の生えた人形が愛国堂萬歳/\と叫びて居る図あり、
 (中略)又横浜元居留地西洋夫人より遣(よこ)したるには西洋夫人の鼻の下に片髭の生えた画を書き「わたくし、日本人の黒い毛たいさん好きありますゆゑ、何を附ける黒い毛生えるありますかと聞きますと、東京市日本橋区馬喰町二丁目山崎愛国堂製東京皮膚病院発明の毛生液附ける能く効くありますと教へましたから、直ぐ買て試しに鼻の下に少し附けるありますと忽ち黒い髭澤山生えました、効き過ぎるほど効能あります、わたくし国へ遣(や)るあります千個送るたのむありますと」書き手あり


毛生薬

 (中略)実に此の絵葉書といふものは便利にして趣味深くおもしろい物であります。斯く趣味深く面白い所の私製葉書が通常葉書同様どこへなりとも配達せられますやうになつたも文明開化の余沢(よたく)世運(せいうん)進歩の一現象でありますから諸君もズン/\新趣向を凝して人目を驚かす私製葉書を発行なすってはどうです。
(都新聞 M33.10.2)

 絵葉書記事かと思って読んでいくと、なんのことはない、山崎愛国堂の毛生液である。西洋夫人のカタコト手紙がばかばかしくもおかしい。上の図はじっさいに新聞に掲載されたものの写しだが、十月一日と日付けが入っているなどなかなか芸が細かく、あえて「模写」と真贋をぼかしているところも心憎い。この毛生液の広告は明治期の雑誌新聞によく登場し、女性の鼻下の片方に髭がちょんと伸びている図像でおなじみである。
あらかじめ一日以後の現象を予想しておおげさに書かれたものだろうが、当時、私製絵葉書の可能性がどのように想像されていたのかがわかっておもしろい。


20030809



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