これも無言絵葉書。オランダ発オランダ着。前の農夫が火星発だとすれば、これは小惑星発か。なんとも希薄な写真。軒のラインが醸し出す奥行きも、わかりにくい店の中身も、ディティールの見えない日本女性も、そっけない土手も、なにもかも中途半端だ。
 気になるのは、横にカナ釘流に書かれた「茶店」という文字。そのヘタクソさ加減は、異国で見る日本語パンフレットのすわりの悪い字体を思い出させる。

 非漢字圏の国に行くと、漢字でサインするだけで、何かマジックショーでも見るように感嘆されることがある。見知らぬ言語体系から繰り出される神秘的な線の動き。最近では日本語をプリントしたTシャツをよく見かける。それも、日本の週刊誌やゲーム雑誌からいい加減にコピーしたと思しきデザインのやつ。オランダの飲み屋で、バイトの娘が「大阪行きは速い阪急」とでかでかとプリントされたシャツで近づいてきたときは衝撃だったが、着ている本人はどういう意味か知らなかった。まあ日本で英語やフランス語のTシャツを着ている人だって大して意味など考えて着ちゃいないだろう。お互いさまだ。お互いさまだが、日本語の字面がこうもあからさまにクールなものとして受け取られるようになったのは、ここ10年くらいのことじゃないだろうか。
 歴史は繰り返す。開国から明治期にかけて、欧米では浮世絵を初めとする日本文化の大量流入があり、ジャポニズムが起こった。そしてこの熱狂的なジャポニズムに伴って、字体としての漢字やかなへの興味が起こったことを伺わせる絵がある。それは、ゴッホの有名な「花ざかりの梅」だ。広重の「亀戸梅屋舗」を模写したこの作品には、模写にしてはあまりにもヘタクソな(それゆえに線画としては魅力的な)漢字が描かれている。ゴッホにとっては、梅屋舗の梅の枝の屈曲のみならず、「大黒屋錦木江戸町一丁目」といった漢字の屈曲もまた魅力的だったに違いない。

 20世紀初頭のスタンプを押されたこの絵葉書の主役も、じつは「茶店」という字なのではないか。異国の文字。硬い線で構成された、不思議なしるし。その意味を、鑑賞者は、この曖昧な写真の中からなんとか掴み取ろうとしたのではないか。そう考えると、藍色の絵葉書の空気が、やけに濃くなってくるような気がする。

19991016


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