東西にのびるパサージュ。洋服雑貨や室内装飾の問屋街といった感じになっている。パリのパサージュの中でもひときわ長い。途中、何ヶ所か南に向かって出口が開いているので出てみた。横から見ると、このパサージュはいくつもの意匠の違う(しかし高さが同じの)建物を並べて長大になっているのだということが分かる。
そして、この長さは、ある種の陰鬱さを惹き起こす。漆喰天井に続いてガラスそしてまた漆喰といった、他のパサージュによくあるリズム、次々と別の家を抜けていくような光と影のメリハリがここには乏しい。どこまでも続く薄汚れたガラス天井で少し濁らされた光がいったいを覆っていて、いったん入ると、いつこの光から出ることができるのか少し不安になる。
分岐の形のせいもまた、この陰鬱さの原因だろう。ロトゥンダを作ったり角を広くとれば、そこは単なる分岐でなく、パサージュの中の憩いの場所となり、そこを通り過ぎるだけで少し気分が晴れるはずなのだが、ガラス天井の形からも分かるように、ここでは分岐や屈曲はただ、線の交差や方向転換に過ぎない。
全体に通りは狭く、頭上には、両側から手を伸ばすように看板がせり出している。商品が表に並んでいることもあって、通りは他のパサージュに比べてかなり狭い印象を与える。品定めは主に店の中で、ということなのかもしれない。それからゆっくり見るという感じ。
このパサージュの歴史は古く、ナポレオンのエジプト遠征まで遡る。「Caire」とはカイロのことだ。西出口にはエジプト風の漆喰模様がほどこされている。この西出口前の広場はパサージュ内部に比べて人が目立つ。
かつては「石版印刷工房と製本屋専門といった風に見えるし、また隣の通りには専ら麦わら帽子製造所が軒を連ねている。」(「パサージュ論I A10,1)といったぐあいだったらしい。ベンヤミンのパサージュ論にはこのパサージュに関する記述があちこちに見られる。
西側は分岐して三角地帯を形成している。この分岐のおかげで、ちょっと方向感覚がおかしくなる。
この三角部分にでんと店を構えているのが洋服量販店のSapho。どの面もウィンドウになっていて店内がよく分かる。服に無頓着なぼくでも思わず手が出るほど安い。買いだめしている人を何人も見かけたのだが、もはやカゴなんて華奢なものでは間に合わず、店が用意した街路のゴミ箱かと思うほどデカいキャスター付きのバッグに、セーターやらシャツやらをどかどか放り込んでいた。