カメラ・オブスキュラ制作日記

スミス記念堂内部

20081019

「道 身をもって地をしる」:スミス記念堂のカメラオブスキュラ

obscure200810a.jpg 10時にスミス記念堂に集合し、準備を始める。すでに八月のイベントで段取りはつかんでいるので、暗幕を張ったり扉を目張りしたりといった作業を次々こなしていく。幸いにも快晴。以前にも増して彦根城の映像はくっきり浮かぶ。
 上田君が、虫取り網にケーキ作りに使うパラフィン紙を貼ったものを作成。これを針穴から漏れてきた光の前に差しのばして、いかに光が上下左右すべての方向に像を結んでいるかを実演する。虫を捕まえる感覚で光を捕まえる。「捕虫網」ならぬ「捕光網」。

 竹岡くんの中山道写真。100mおきの写真5000枚以上を次々と見ていく、というのが、果たして鑑賞に耐えるのか、じつは企画しておきながら、実際に見るまで確たる自信がなかった。
 が、フタを開けてみると、これが予想以上におもしろい。県道や国道然とした関東平野から、碓氷峠に向かい山越えをするあたりで、突然、中山道の質感が変わるのがはっきり判る。わずか数コマだけ登場する軽井沢が、いかに「山越え」した場所にすいと現れる保養地なのかも感じられる。諏訪大社に至る山道には、元街道とは思えない踏み分け道もあり、中山道が東海道に比べて、いかに近代になって分断され、枝分かれを経たのかも実感される。こんな映像、見たことない。
 道の正面を100mおきにとったもの以外に、竹岡君はスナップ写真も撮影している。上映前にこれらの写真を見ることによって、文字通りこの旅の「サイドストーリー」が判るという構成。
 カメラ・オブスキュラ鑑賞と合わせて2時間のプログラムと相成った。

 秋の日はつるべ落とし。午後5時には、あたりの光量が落ち、カメラ・オブスキュラとしてはこの頃が限界。
 早めに撤収して打ち上げへ。次回のアイディアがいろいろ。次は冬あたり、雪の日の映像はいかばかりか、と想像はたくましくなる。炬燵を出すのもいいなあ。



20081008

第二章「道 身をもって地をしる」

 カメラ・オブスキュラ向きの季節。
 修論の提出であえいでいると噂の聞こえていた竹岡君から、PDFのチラシが送られてくる。自ら大胆なコピーを書いてくれた。これは楽しみ。さっそくwwwサイトの表紙にする。

20080828

ピンホール写真

smith_pinhole.jpg

 渋谷さんが8/24のスミス記念堂での写真を持ってきて下さる。
 カメラ・オブスキュラのレクチャー終了後に、参加者で記念写真を撮影したもの。
 渋谷さんお手製の四つ切り判大型ピンホールカメラと、コダックのカメラキャップにピンホールを仕込んだ小型のものとで撮影を行った。
 大きい四つ切り判の方は、光漏れがあってうまくいかず、コダックが成功だったとのこと。上の写真はその一枚。
 長年ピンホールで撮影しておられる渋谷さんの言によれば、やはり大判の細かい階調で2,3分露光して撮影するのがピンホール写真の魅力で、小さいのは「ほんとうのピンホールとはちょっと違いますね」ということ。でも、この、1-2秒の短い露光による写真にも、輪郭が輪郭として凝る直前の柔らかな階調が見えて、不思議な魅力がある。



20080824

カメラ・オブスキュラ@スミス記念堂

 朝、長いこと出してなかった幻灯機二台を出して、簡単なメンテナンス。箱も壊れているし、スライドもばらばら。
 スミス記念堂に集合して、それぞれの作業に取りかかる。何度か予行をやっているのだが、新しい思いつきが加わって、この間にもいくつか別の試みをする。
 幻灯を祭壇に映してみたのだが、これは惚れ惚れとした。古いErnst & Plank製の幻灯が映し出す映像と、教会のサイズとがぴったりなのだ。
 そもそも祭壇というのは、ちょうど、その教会にいる者の視線を集め、教会の内部に聖なる空気を満たすのに適した大きさと距離に設えてある、ということなのだろう。その祭壇に映像を置けば、それが聖性を帯びるのは容易なことなのだろう。
 外の光景や幻灯の映像をあちこちに映しているうちに、もう、スクリーンはほとんど要らないのではないかという気がしてきて、結局、基本的には何も使わず、ただ教会の壁一帯に、外の光景を映し出すのがいちばんいいような気がしてきた。とても暗い映像だし、ある程度の時間暗順応して、ようやく細部が分かるような体験だが、それをしてもらうのが一番よいのではないか。

 などとあれこれ試しているうちに、早くも開始時間。真っ暗な中でスミス記念堂副理事の辻さんに挨拶していただき(顔がまるで見えない)、そのあとレクチャー。レクチャーというよりは、目の慣れていない方のために、そこで起こっていることをときどき実況するという内容。そして少し幻灯会。
 PCも持ってきたし、カメラ・オブスキュラの資料映像もあれこれあったのだが、結局使わなかった。現代のプロジェクタの光では、この微妙な暗さには明るすぎる気がしたから。
 白い布をかざして、近くに像を結んだときの明るさも体験していただく。おお、と声があがる。
 あまりイベントらしい仕切りもなく、どうもやっているこちらの方が楽しんでしまったような気がするのだが、一時間近く真っ暗な中で、ほとんどの観客の方が残って下さった。一人、お年寄りの方が途中で出られて、ちょっと申し訳ない気もした。
 静かにして下さいとお願いしたわけではないのだが、真っ暗な中で光を見つめていると、自然とことばが少なくなり、みんな黙ってしまう。遠くでバスの音がして、教会の右壁に小さくバスが現れる。それがぐんぐん大きくなり、正面の壁をさあっと過ぎて、左壁に移って、小さくなっていく。そのさまに、耳を澄ませている。

 3:30ごろレクチャーは終わり。渋谷写真館の渋谷さんがわざわざ自作のピンホールカメラを持ってきて下さった。長年、ピンホールカメラで撮影をしておられる渋谷さんのお話を聞き、外で撮影会。渋谷さんの写真ファイルを、長いこと見ておられるお客さんもいた。渋谷さんの写真は、渋谷さんの説明があると、ぐんとその魅力が増す。

20080823

8/24はスミス記念堂でカメラ・オブスキュラ

 詳しくはこちらを。ちなみに明日は午後からいい天気かも。明日の彦根市の天気予報。いいぞいいぞ。彦根の老舗写真館、渋谷写真館のご主人が自作のピンホールカメラを持ってきて下さるそうです。うまくいけばピンホール記念写真が撮れるかも。

20080822

カメラ・オブスキュラ試作二回目

 スミス記念堂でカメラ・オブスキュラ試作二回目。ポカリスエットの空き缶で節穴を作る。上田君がこの穴を「レンズください」「レンズかざしてみましょうか」と呼ぶのでおもしろい。
 玄関をふさぐ黒い板を木枠で止めることに。このあたりは試行錯誤。
 スクリーンも見直す。クリアな像を得るには近いほうがいいのだが、堂全体を「部屋」と感じるには、暗くとも大きい像のほうがよい。堂の壁も利用したい。このあたりは当日まで微調整か。
 当日の天気予報は曇りときどき雨。今日は、曇天の夕方に作業したが、前の道はけっこうクリアに見えた。ディティールを見るには晴れているに越したことはないが、この暗さにはまた、独特の雰囲気がある。



20080729

カメラ・オブスキュラ、第一回の試作

 湖国研究の若き才人、上田洋平くんの発案で、彦根に1931年に建てられた和風教会「スミス記念堂」で、カメラ・オブスキュラを試みることになった。
 趣深い木造の教会の中に、彦根城を映し出したい、という、なんとも幻想的な企画を聞いて、即座に、ハイハイと協力者として手を挙げた。

 カメラ・オブスキュラは三度の飯並に好きである。

 古い蔵などの暗い部屋の中で、節穴から漏れた光が、反対側の壁に像を結ぶ現象はよく知られている。こうした映像は「ピンホール・カメラ」「針穴写真」と呼ばれる。いっぽう、これをレンズや鏡で集光・反射させて見せるものを「カメラ・オブスキュラ(暗い部屋)」と呼んでいる。

 カメラ・オブスキュラは、19世紀には見世物として一世を風靡し、いまなお、かつてのカメラ・オブスキュラが世界に数カ所残されている。わたしは幸運にも、サンフランシスコ海岸沿いの廃墟そばにひっそりと建つカメラ・オブスキュラ、そしてエディンバラの街中に建つカメラ・オブスキュラを訪れたことがある。ただの一枚の映像なのに、1時間居てもまったく見飽きることはない。一度その大きな映像、柔らかい光を体験してしまうと、おおげさではなく、もうこの世の光景が一変するほどの深い体験であった。

 同じ原理を用いて、レンズを配して描画用に作られた小箱も「カメラ・オブスキュラ」と呼ばれており、フェルメールをはじめ、17世紀ごろの画家によく用いられていたことで知られている。美術好きの方は、むしろ、こちらの「カメラ・オブスキュラ」のほうをご存じかもしれない。

 ・・・などと説明するのは簡単だが、いざ自分で作るとなると、穴の径をどうするか、スクリーンをどの位置にどれくらいの大きさで立てるか、レンズは用いるかどうか、などなど、考えなければならないことはいくつもある。しかも今回は、箱から作るのではなく、あらかじめやる場所が決まっているのだから、現場ならではの制約も多い。
 ならば現場で試行錯誤するのが早いだろう。
 というわけで、北風写真館の杉原さん、上田君、近藤君、そしてわたし細馬の四人が集まって、まずはテストをしてみることにした。

入口をふさぐ
まずは入口をふさぐためのシートを作る。

入口をふさぐ
ふさいだ入口を外から見るとこんな感じ。

入口をふさぐ
窓はすべて暗幕で覆ってしまう。

入口をふさぐ
正面に100円玉大の穴を開ける。
カッターで切ったのでちょっとぎざぎざ。

 いよいよ電気を消し、その、ぎざぎざ穴からスクリーンに投射してみる。

 結果はすばらしいものだった。教会中央に建てた1mのスクリーンのみならず、教会の壁全体に外の光景がうっすらと映し出される。行き交う車が、部屋全体を左から右へ、右から左へと通り過ぎる。全員、しばし座り込んだまま、呆然とその景色を眺めた。
 これならレンズを使うまでもない。ただの節穴で十分である。
 あとは穴の口径と位置を微調整すればなんとかなるだろう。
 映像は、暗い部屋で、瞳が大きく開かれたところでようやく感知できる。微細なコントラストを持った映像だ。しかも、とても大きい。だから、残念ながら(幸いにも)写真で表現することはできない。こればっかりは、実際に来て見て下さい、とお願いするより他はない。

 ところで、厳密には、ただの穴を使う場合は、「ピンホール・カメラ」、レンズを通した映像を使う場合を「カメラ・オブスキュラ」と呼ぶ。
 が、今回は、コインの大きさに近い穴を使うので、「ピンホール(ピンの大きさの穴)」ということばはちょっとそぐわない。それに、今回の試みの特徴は、教会の暗い(オブスキュラ)部屋(カメラ)を使うことにある。というわけで、あえてここでは、「カメラ・オブスキュラ」と呼ぶことにしたいと思う。

 せっかくなので、いくつか実験。まずは鏡で映像を反射させてみる。これもうまく行った。教会床に彦根城前の光景が広がる。床の木目を車が過ぎる。うわあ。
 次に、倍率の低い虫眼鏡を穴にあてて、ノートの切れ端に景色を写してみる。近藤君が「これ、むかしの絵はがきの色や!」と叫ぶ。千切った紙の縁、折りじわすら美しい。

入口をふさぐ

 午後6時を過ぎ、さすがに景色は暗くなってきたので、本日はこれにて解散。もう一度試作日を設けることと相成った。
 教会正面が広々と開けているせいだろう、映像は想像以上に明るく、お堀端の緑、空の青は吸い込まれそうだった。途中、曇天の時間もあったが、それでも十分な明るさが得られる。夕方でもなお、暗順応した目ならば、光景がそれとわかった。
 解散後も、夕暮れの赤も見えるのではないか、ライトアップされたお城も見えるのではないか、などと想像の翼はさらに羽ばたく。

(細馬宏通)



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