透かし絵の町

Oaxaca diary


 オアハカからテウアンテペック Tehuantepec 行きのバスに乗ると、明らかな植生の変化を見ることができる。建物に囲まれたオアハカの町なかでは、植物をあまり意識することはないが、町を出て南にしばらく行くと、このあたりはもともとサバンナ地帯だったことがわかる。低木がちょろちょろと生えていたり、オアハカの特産酒メスカル Mezcal のもとになるアガベ Agave が美しく並ぶ畑を見ることができるのだが、山に登るに従ってサボテンが目立つようになり、やがて高くまっすぐに伸びたハシラサボテンだらけの丘が両側に現われる。こちらではブラーボ Bravo と呼ばれているのだが、アリゾナのソノラ砂漠でよく見るスアロ Saguaro というサボテンに似ている。
 山を越えてしばらくいくと、今度はサボテンの回りに木が目立つようになる。ハシラサボテンが種から育つためには、小さくてひ弱いあいだ日蔭を作ってくれる「育ての樹」が必要だと言われている。その育ての樹にくるまれるように育ちつつあるサボテンをあちこちに見ることができる。12月のせいかほとんどの樹に葉はなく、落葉樹だと知れる。ただの砂漠から、再びサバンナ地帯に戻ったのだ。

 劇的な変化は、オアハカ市から約4時間、山を下ったところで現われる。畑らしき平原が現われたかと思うと、突然パーム椰子の高木が現われ、そしてその向こうに紺碧色の水が広がっている。サボテン地帯を見続けてきただけに、この水の色はひときわ目に染みる。この地方では、水さえあれば、刺すような陽射しを浴びてぐんぐん植物が育つのだ。
 停留所にはSta. Maria Jalapa del Marques とある。地図から、水の領域はB. ユアレス湖 Presa B. Juarezだと知れた。
 湖を離れると再び低木地帯が続き、30分ほどすると橋にさしかかる。広い川幅に水が浅く流れており、かたわらで馬が草を食んでいる。テウアンテペックだ。

 午後三時過ぎについたテウアンテペックは気だるい雰囲気のする町だった。クリスマス・イヴの終わった市場の中は、半分以上が閉じており、広場の回りでは夜店の仕度がそろそろ始まりかけていた。
 暇つぶしに散歩をしたら小一時間ほどで河のこちら側はほぼ歩き尽くした。ガイドブックに載っているサント・ドミンゴ教会の入り口はすでに閉まっていた。時折目の覚めるような赤や青の服を着た老婆が路地から出てくる他は、これといった見ものはない。夕方でも陽射しは強く、日陰を選んで歩いても疲れてしまう。帰りは土地の人にならってモトカロス Motocaros と呼ばれる三輪トラックに乗る。三、四人で満員の荷台の上に立って風を受けると、汗がみるみる乾いていく。

 広場の近くで降りる。露店の準備はまだしばらくかかりそうだ。ハンドル式の昔懐かしいサッカーゲームが何台も置いてある。両サイドそれぞれ四つの鉄棒に人形がついたやつだ。こんな単純な遊びでどうやって金を取るのだろう。時間制にでもなっているのだろうか。
 ナティバ・エゼルサ教会 Templo de la nativa excelsa の前には、教会におよそ似つかわしくなさそうな、派手な看板の移動遊園地が設置されてある。線路の長さが客車の数倍ほどしかないジェットコースター、コーヒーカップ、狭い敷地を何度もめぐるための環状の乗り物の数々。客のいない夕方の遊園地はやけに物寂しく、ひどくさびれた町に来たような気分に襲われた。泊まり先のホテル・ドナヒ Hotel Donaji は教会のそばにある地味なホテルで、小さな中庭にはクリスマスの飾りがしつらえてあり、傍らの一室には聖母の祭壇、そしてその前にはジオラマらしきものが置いてあるのだが、どれもくらがりの中ですすけたように輪郭を失っていた。
 部屋の壁は肌色に塗られており、ベッドの他には、固い木椅子と壁に据え付けられた簡素な木製の棚が、やはり肌色に塗られている。壁の上に穿たれた細長い穴は、熱を逃がすためのものだろう。シャワーと便器は部屋の中の低い壁で仕切られて、入り口には西部劇のサルーンに出てきそうなスイングドアがこれまた肌色に塗られている。そのスイングドアに洗濯物をかけてからベッドに横になったら、急に眠くなってしまった。

 ごとんごとんという地鳴りのような音で目が覚めた。トラックか何かだろうか。よく耳を澄ますと、子供の叫声が聞こえる。それで、移動遊園地の音だと気がついた。きっと、あの小さなジェットコースターが動きだしたのだろう。
 だるい体を起こして部屋を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。
 中庭に出て目を見張った。クリスマスの飾りがくらがりの中で点滅している。オアハカ市街の大きなホテルで見たものよりは小さいが、ずっときらびやかだ。
 そして、祈りの部屋のジオラマにも灯りがついていた。厩の中はキリストの生誕を照らし出すほのかに橙色の光で覆われており、その前に広がる台の上で赤青の電球が明滅すると、草むらにいる羊たちが浮かんでは消える。安上がりな仕掛けなのだが、まるで透かし絵を透かして見るように、夕方とはまるで別ものになっている。
 教会の前にでると案の定、移動遊園地が忙しく回転している。どぎつい装飾も、電球の橙色の光の中では不思議といやらしくない。教会の中を覗くと土地の人が休憩がわりにぶらぶらしているだけで、天井からは夜店のようなゴム風船がいくつも下がっているのだが、蛍光灯の光と白壁でこれでもかというくらい明るくなっているので、こちらもすすけた感じはない。むしろアクセントに塗られた紺色の稜線がまぶしいほどだ。
 賑わいは町役場前の広場のほうからも聞こえてくる。そこに並んだタコスの屋台は意外にも年かさの男女でいっぱいだ。たっぷりとスペースをとった座席には軒先の灯りが行き渡らないが、満月に照らし出されてゆったりと食事を楽しんでいる。
 若い連中はそれとは反対側にある別の広場にたむろしていて、中央を四角く囲むように並んだ小さな夜店をぐるぐる巡っている。雰囲気の盛り上がった二人は中央のくらがりにあるベンチへと引っ込む趣向らしい。

 サッカーゲームは大賑わいで、しかも想像していたのとまったく違う遊び方だった。敵味方が両側に分かれて四人以上で遊ぶというところまでは日本と同じだ。しかし、そこから先はまったく違う。スピードが猛烈に速いのだ。ボールは肩の高さからぽんと投げ入れられる。多少中央から偏っていても構わない。そして、鉄棒についた丸いハンドルを掌で思い切り回す。人形はものすごい勢いで何回転もして、ボールを叩き飛ばす。もはや人形は、蹴る人の似姿ではなく、ボールを叩くための木片に過ぎない。ボールが人形のそばを離れるとしばらくちょんちょんと探るような動きがあって、いったん人形がボールをとらえるとあっという間に決着がつく。
 ゴールには穴が開いており、吸い込まれたボールはそれきりで、ゲームを続けるには次のボールを足さなくてはならない。横の投入口に1ペソを入れるとボールが四個出てくる。気分が高まってくると、誰かが気前よくコインを入れてはボールを補充する。エアホッケーの展開に似ている。

 午後九時を過ぎると、にぎわいも一段落して、人影もまばらになってくる。すると、近くでにぎやかな楽団の演奏が鳴りだした。どうやら公民館の中でダンス・パーティーをやっているらしく、めかしこんだ家族やカップルが次々と入っていく。中を覗いてみたい気もしたが、正装も持っていないし、夜も更けてきたのでホテルに戻ることにした。
 しかし音楽は、ホテルの部屋の細長い窓から、まるでスピーカーから鳴るようなはっきりとした音で入り込んできた。最初は異国風情があってよいと思っていたが、二時間経っても三時間経っても、いっこうに止む気配がない。さすがにもう、マンボもサルサもたくさんだという気になってきた。踊りの外にいるラテンほどつまらぬものはない。それも夜半過ぎだ。
 午前一時、その音楽を切り裂くような音がした。窓の外を見ると、貨物列車が過ぎるのが見えた。夕方見たときは砂埃だらけの線路の上に車が止めてあったので、もう廃線なのかと思っていたのだが、じつはちゃんと使われているらしい。何両あるのか途中で数えたくなるほど、貨車の過ぎる音はいつまでも続き、ようやくその音が遠ざかり始めたところで、派手な警笛が二発鳴った。どうやら先頭が河を渡るところらしい。  

(Dec. 25 2004)


 

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