ウィンザー・マッケイからの手紙 (1926)

「カートゥーンを書くには how to draw cartoons」 Clare Briggs (1926) の中で、カートゥーニストで著者のクレア・ブリッグズは、当時の著名な作家に以下のような質問状を送り、その返事を掲載している。

1.  あなたが成功した最も大きな要因は何だと思いますか?
2.  カートゥーニストを職業として目指している学生にとって、芸術教育はどれくらい重要だとお考えですか?
3.  いわゆる通信教育についてどうお考えですか?
4.  カートゥーンを描き始めた何がきっかけですか?
5.  平均的な初心者が守るべきことは何でしょう。また、アドバイスはありますか。

 以下は、「how to draw cartoons」に掲載されているウィンザー・マッケイからの返信である。

 わたしが成功した最も大きな要因は、とにかくずっと絵を描いていたいという強い渇望でした。これは私自身の内からわき出るもので、さあ絵を描くぞと決めた特定の場所や時があるわけではないのです。自身に「訓練を積まねば」「うまくならねば」と言い聞かせたこともありません。とにかくなんでも描かなければ気が済まなかったのです。誰かを喜ばせようとか、いかにうまく描けるか見せびらかそうとしたわけでもありません。ただ、自分を喜ばせるために描いたのです。

 自分の絵を誰に気に入られようが、誰にまずい絵だとけなされようがかまいませんでした。自分の絵をとっておいたこともありません。欲しい人にはあげるし、でなければ捨ててしまいます。フェンスにも、学校の黒板にでも、使い古いしの紙にでも、スレート屋根にでも、納屋の壁にでも描きました。とにかく止められなかったのです。ちょうど口笛を吹く子どもみたいに。何になりたいという志もありませんでした。自分が楽しむために描いたのです。ちょうど、ハーモニカの好きだった少年が今になって立派な音楽監督やアレンジャーになっているようなものです。他の子に比べてとりたてて才能があったわけではありませんが、絵に対する好奇心、絵を描くときの楽しさのおかげで、いまのように熟練したのではないかと思います。
 いまでも、子どものときと同じように描くのが好きです。私を知っている人は驚くかも知れませんが、わたしは自分の人生で、描いた絵に対して何か報酬をもらいたいなどと思ったことはありません。とにかく描いて描くこと、報酬はあとから勝手についてくるだけです。ずっと描いていなければ、いくら才能があったとしても、今の自分はいないでしょう。

 芸術教育の重要性はもちろん大事です。が、いくら音楽を教育しても、その人に音楽を感じる力がなければ偉大な作曲家にはなれません。もしその人の内側に芸術の感性がなければ、どんな芸術教育もアーティストを作ることはできないでしょう。それでも、内側にユーモアを欠いた人を教育してカートゥーニストにならせるよりはましです。カートゥーニストは自分のキャラクタを動かさねばなりません。自身の中にあるキャラクタを感じて描かねばなりません。笑うことができない人は笑う人を描けません。怒ることができない人は怒る人を描けません。つまり、何かを描こうとするときは、それを自分の指先ではっきりと感じなければならない、ということです。戸外ですばらしい風景を描いたり、美しい人物画を描く人もいるでしょう。でもそれは自然を写しているに過ぎません。生活の中のさまざまなもの、バラや空やさまざまな事物、静物を描く人は、自分の見ているものを写しているだけなのです。彼らはアーティストと呼ばれます。いっぽうカートゥーニストは、生みださねばなりません。生き生きとした喜劇でいっぱいの、あるいはドラマティックな、あるいは悲劇でいっぱいの状況を心の中で想像しなければなりません。自分の感性のすべてをつぎ込んで、アーティストたちが手に出来るようなモデルや助けは一切なしで、描かねばなりません。 mccay_briggs_i.jpg

 通信教育がカートゥーニストになるのにどれくらい役立つかは正直わかりません。もし若い人がおもしろいアイディアを持っていて、それを心の中で動かすことができるのなら、それを紙に描くことを教えるのはたやすいことでしょう。
 わたしは長いこと、どんな紙やインクやペンやステンシルが必要なのか探してきました。カートゥーンは、部分を使うときのために大きめに描かれるべきだということも、知りませんでした。縮小したときに線をくっきり出すにはどんな質や量の線を描くべきかということも知りませんでした。
 もし通信教育が、内にユーモアを秘めた人、そしてたゆみなき厳しい仕事のできる人にこうした必要な技術をすべて教えるというなら、教育によってカートゥーニストを作ることは可能でしょう。誰かにカートゥーンにおけるおもしろさやアイディアの掘り下げ方を教えるのは無理だと思いますが、紙やインクやブラシを使って自分のアイディアを扱うための方法なら、教えることができるでしょう。
 もし自分にカートゥーンの才能があると思うなら、通信教育を受ければいいでしょう。あなたに才能があれば、それによってあなたの道は開けるでしょう。もし才能がなかったとしても、少しの出費でそのことが分かるのですから、あとで膨大な時間を失うよりはましです。

 とにかく描くことから始めなさい。そしてけして止めないことです。目に入るものはなんでも描きなさい。どんなにまずい絵でもかまいません。あなたをからかう人がいるからといって止めてはいけません。あなたを褒める人がいるからといって心を揺らされてもいけません。人が褒めるとき、100000回のうち99999回は、自分で何を言っているかわからず褒めているのです。わたしなら、褒める人よりもけなす人に耳を傾けます。描けば描くほど、前よりは巧くなるものです。いまの自分や自分の描いたものを真に受けないこと。今日はよく見える絵も、明日になれば人に見せたことが恥ずかしくなるほど拙く見えるものです。満足がいくことはありません。常によくなろうと心がけなさい。
 エンマおばさんが、こんなすてきなのは見たことがないわ、と言ってくれます。ジョンおじさんもママもパパも、すばらしい、と言ってくれます。にっこり微笑んでありがとうを言いましょう。でもそこまで。けして信じてはいけません。
 情け容赦ない編集者があとからやってきてひどく罵倒します。でも内なるものがあるなら、ひたすら続けることです。そしてもし内なるものがないなら、もっと地道な仕事に就きなさい。

 出来上がったカートゥーンは、シンプルに見えます。あまりにシンプルに見えるので、1,2分で描いたのではないかと思えることもあります。クレア・ブリッグズのカートゥーンはとてもシンプルに見えるので、懸命に描いたのだと聞いたら多くの人は笑うでしょう。でも、彼のカートゥーンを研究すれば、キャラクターの配置といい表現といい、ほとんど写真的だということに気づくでしょう。彼は真なる物語を描き、すべての動き、ジェスチャー、表情を、自分で感じながら描いています。彼はほんのわずかな線だけでそれができる、唯一の人です。そのわずかな線のうしろにどれだけの神経が行き届いていることか。それらがどれだけ考え抜かれていることか。線が少ないほど、懸命な仕事が必要です。たった数本の線でできたシンプルな絵だからといって、騙されてはいけません。その背後には、何百万もの線で描かれた絵よりも多くの仕事が費やされているのです。わずかな線でカートゥーンを描けるのは、懸命に描いた人だけです。

 描くこと!ひたすら描くこと!カートゥーンはこれに尽きます。

(訳:細馬宏通/イラストはBriggsの著書に掲載されたマッケイの筆によるもの)

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