(You Make Me Feel Like) A Natural Woman

外を見たら 朝の雨
何も感じませんでした
また一日 生き抜かなきゃ
ああ、思っただけでぐったりでした
あなたと出会うまで 生きるのはつらかった
あなたは鍵、やすらぎをくれる
だってこの感じ
この感じ
この感じ ありのままのおんな

わたしのたましいの忘れ物
あなたが言ってくれた これですと
いったい何がまずいんだろう
あのキスで知った これだって
もう疑わない なぜ生きてるのか
あなたをよろこばせたい それだけ
だってこの感じ
この感じ
この感じ
ありのままのおんな

おおベイビー これは何の魔法?
ほんとにはればれ 体の中から
お願いはひとつだけ いたいよそばに
この感じ 生きてるんだ
この感じ
この感じ
ありのままのおんな
この感じ
この感じ
ありのままのおんな

(Gerry Goffin & Carole King “A Natural Woman” 試訳:細馬)

アレサ・フランクリン、アトランティックでの曲の作り方

1967年からアレサ・フランクリンはアトランティック・レーベルに移った。アレサはコロンビア時代とは全く違うスタイルで歌い、”I Never Loved a Man”を皮切りに”Respect”, “Chain of Fools”, “A Natural Woman”など次々とヒット曲を連発する。その録音はどのように行われたのか。アレサのアトランティック時代のレコードのほとんどでプロデューサーをつとめたジェリー・ウェクスラーの自伝「Rhythm and the Blues: A Life in American Music」(共著者は、アレサ・フランクリンやマーヴィン・ゲイなど幾多の評伝を手がけているD. Ritz)から、アレサに関する話をいくつか訳出してみた。

アレサ版の「I say a little prayer for you」は、コーラスとの掛け合いが実に融通無碍で、「I say a little」とアレサが言ってからいちばん肝心な「prayer for you」のところをコーラスのスウィート・インスピレーションが歌うというアレンジになっているのだが、これがスタジオでのおふざけから生まれたというのもおもしろい。


(”I Never Loved a Man”を録音するにあたって)アレサは自宅のフェンダー・ローズで、曲のアウトラインをさらってきた。ピアノの前にアレサが座ること抜きで録音を始めるなんて考えられなかった。それが彼女の曲をオーガニックにしてるのだから。彼女はキーを見つけ、リズムパターンを考え、キャロライン、エルマか、あるいはスイート・インスピレーションのコーラスと曲を作った。

アレサはサザンスタイルの録音ではとても自然体に振る舞った。リズムのグルーヴとボーカルのパターンができあがったら、彼女自身によるスタジオ・ワークは終わりだと分かっていた。マッスル・ショールズに彼女を連れて行くのにちょっとだけ気がかりなことがあった。アレサとテッドをずらりと並んだ白人バンドに会わせるのはちょっと気が引けたのだ。そんなわけでわたしはリック・ホールに、ブラックのホーン・セクションを雇ってくれないか頼んでみた。メンフィス・ホーンズでもボウレグズ・ミラーからの選り抜きでもいい。人種をミックスすることもさることながら、ブラックのホーンを入れることである種の響きを出したかったのだ。ところがホールはうっかり全部を白人のバンドにしてしまった。アレサはどうしたかというと、無反応。案ずるに及ばず。彼女はピアノの前に座って、演奏するだけだった。

(中略。”I Never Loved a Man”を吹き込んだあと、ジェリー・ウェクスラーは、この調子でアルバムを一気に吹き込むつもりだったが、当時のアレサの夫でマネージャーのテッド・ホワイトとリック・ホールとが喧嘩になり、テッドとアレサはニューヨークに帰ってしまう。結局、このあとの録音は、マッスル・ショーズからメンバーをニューヨークに呼んで行われた。ジェリーはこの事件を、プロデューサーとして経験した最悪の事態だったとしている)

スタジオに入る頃にはピアノのパート、バックコーラスのパートはできており、キーも決まって手作りのグルーヴができていた。どの曲もアレサの気持ちにちかいものだった。彼女自身による曲はもちろん、彼女が心動かされたアーティストたちとのつながりを示す曲、サム・クックの「A Change Is Gonna Come」や「Drown in My Own Tears」(こちらはレイ・チャールズでヒットした)もそうだ。(中略)
このやり方はその後一年に二枚の割合で吹き込まれていくアレサのアルバムのほとんどで踏襲された。

(中略)

「I Say a Little Prayer for You」が吹き込まれたのはちょっと魔法のような幸運のおかげだ。休憩中にアレサと(コーラスの)スイート・インスピレーションたちは、コントロール・ルームでふざけあっていた。お遊びで,彼女たちはディオンヌ・ワーウィックのヒット曲をやり始めた。すべてのパートがあっといういうまにできあがって、これは試すまでもなくすばらしくのびのびしたレコードになるんじゃないかと思った。甘さ抜きのリズムセクションに合わせて、彼女たちはワンテイクで「I Say a Little Prayer for You」を取り終えた。

(”Rhythm and the Blues: A Life in American Music” by Jerry Wexler and David Ritz より)

赤毛のアン、丘を下る(再掲)

 「赤毛のアン」は、最初のものを十代の頃読んだきり、ほとんど忘却の彼方にあった。最近、英語版を読み始めたら、自分の年齢がむしろマリラやマシュウに近いこともあって、アンのみならず、年老いた二人が世界ともう一度向き合う話として感じられるようになり、おもしろく読み進めた。もちろん、アンの長々と続く話し言葉を英語で浴びるのも新鮮だった。

 読み終えてから、村岡花子訳の「赤毛のアン」の最終章を読んでみた。端正な訳だ。そしてわたしはうかつにも知らなかったのだが、実はこれは完訳ではなく、何カ所か端折られている*。たとえば、アンが墓地から丘を下るくだりがあり、村岡訳では

翌日の夕方、アンはマシュウの墓に植えたばらに水をやってから、美しいアヴォンリーの夕景色を楽しみながら丘をおりてきた。

と短く抄訳されている。村岡花子がなぜこの美しい箇所を略すことに決めたのかはわからない。ともあれ、ここを飛ばすのはもったいない気がしたので、村岡訳の調子を崩さない程度に、以下に訳を試みてみた。あるいは同様の試みがすでにいくつもあるのかもしれないけれど、個人の英文和訳練習としてご笑覧いただきたい。

 翌日の夕方、アンはアヴォンリーの小さな墓地に行き、マシュウの墓前に新しい花を供え、ばらに水をやった。暗くなるまで、その小さな場所の静けさと穏やかさにひたっていると、かさつくポプラはまるでひそひそと親しく語りかけてくるようで、ささやく草たちは墓地のいたるところで思うままに伸びていた。アンはようやくそこから立ち去り、長い丘を下って輝く湖水へと歩いて行った。もう日は落ちてアヴォンリー一帯は夢のような夕映えに包まれていた。「いにしえの平穏のたまり」だ。大気には新鮮さがあって、風がつめくさの蜜の甘い匂いを吹き寄せている。家々の灯が木々に囲まれてあちこちまたたいていた。さらに向こうは海で、紫色にもやっており、たえることないそのつぶやきが耳をそばだてさせる。西の空は柔らかい黄昏色に染まっており、池に映ったそのかげは元の空にもまして柔らかい。その美しさにアンの心は震え、魂の扉をよろこびとともに開いた。
「親愛なる世界よ」彼女はつぶやいた。「なんて愛しいのだろう。あたし、あなたの中で生きることができてうれしいわ」

(赤毛のアン 第38章より)

*あとからわかったのだが、私の手元にあったのは古い新潮文庫で、2008年に出版された新装版の文庫では、村岡美枝による補訳がなされており、上記の箇所も補われていた。興味のある方はぜひ新装版の方をどうぞ。それにしても新版を持っていればこのような試みはしなかっただろうから、不思議なものだ。

* 高畑勲演出によるテレビアニメ版「赤毛のアン」でも、最後の丘を下る場面はごくあっさりと描かれている。高畑勲「映画を作りながら考えたこと」には、終盤のプロダクション状況が過酷であったことが記されているのでそのせいかもしれないが、あるいは村岡訳に沿った演出だったのかもしれない。

(2014.5.9の記事を再掲)