ほうろうへの道

1.
丘は 東にも西にも開けているのに
どうしてかな日暮ればかり見てしまう
おひさまがのぼるのを見て下るより
おひさまもわたしも下りてゆく方が好き

だって三軒隣は酒屋 三軒隣は酒屋
東に登ればお墓 でも三軒隣は酒屋

2.
日曜にはラーメン屋に行列ができる
しのばず通りでなくてもラーメン屋はあるのに
よみせ通りに抜ける小さな道には
女性だけカラオケがただになる店もある
紙かつはとてもうすい でも叩いてのばせばでかい
衣はあくまでさくさく
それはとんかつの店の「みづま」

3.
富士山はどこに見えるのか
富士見坂
蛍はどこで光ってる 
蛍坂
今日のわざをなしおえて選ぶ坂
空からは夕焼けがだんだんおりてくる

道潅山下めざし しのばず通りをゆけば
おやこんなところに本屋さん
そして三軒隣は酒屋

三軒隣は酒屋 三軒隣は酒屋
東に登ればお墓
でも三軒隣は酒屋

(2011.5.29 かえる目「三軒隣は酒屋」@古書ほうろう ライブ前に作詞作曲)

「いだてん」周回遅れその5:彼岸過迄

 美川は寄宿舎で、消沈したように猫を抱いている。猫があんまり大きいので、美川の方が小さな動物のように見える。

 明治44年11月のこの時期、漱石は未だ創作の空白期にあった。

 明治43年夏、療養先の修善寺で、漱石は突如大量喀血し、生死の境をさまよった。いわゆる「修善寺の大患」だ。ようやく回復し東京に戻ったものの、その後は大患前後のことを書いた「思い出す事など」を除いてほとんど執筆活動を行っていない。「三四郎」以降、「永日小品」「それから」「門」と、わずか二年の間に次々と名作を生み出してきたあとの一年数ヶ月にわたる沈黙は、愛読者にとっては信じられないほどの長さだっただろう。

 翌明治45年の新年、ようやく漱石の新連載が朝日新聞で始まる。
「長い間抑えられたものが伸びる時の楽(たのしみ)よりは、背中に背負された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉しかった。けれども長い間抛り出しておいたこの義務を、どうしたら例(いつも)よりも手際よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない」。その緒言は、病み上がりの自身の具合を確かめるような調子を帯びている。

 そして「彼岸過迄」もまた、青年を主人公に据えながら、動き過ぎることを忌避するように始まる。「敬太郎はそれほど験(げん)の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注(さ)してきた」。飲みたくもない麦酒をポンポン抜いてもどうも陽気になれず、早々と布団に潜り込んでしまう。喉が渇いて目が覚める。夢を見て目が覚める。煙草を吸って、まだ眠れない。朝がきて風呂に行く。倦怠の中から、敬太郎はゆっくりと物語を探っていく。

 美川が尊敬してやまない作家漱石は、もうすぐそのような小説を書く。新小説を新聞で読み進めるうちに、美川はいよいよ自身を持て余し、猫は大きくなり、運動と奔走のもたらす華やかな身体の世界からはみ出していくに違いない。

「いだてん」周回遅れその4:弁髪

 物語の上では点景に過ぎないが、羽田の陸上競技場を手伝っている「弁髪の連中」がいる。弁髪は清朝の象徴であり、まもなく始まる辛亥革命によってこの風習は消え去るのだが、この場面を見てわたしはふと魯迅の『藤野先生』を思い出した。

 「東京もどうせこんなものだった」と『藤野先生』は書き出される。「こんなもの」という情景の典型として、魯迅はそこから、上野の桜に集う弁髪姿の留学生の姿を描写し、「まったくお美しい限り」と皮肉っている。同じ留学生でありながら、彼には旧来の清の風習を引きずった同級生たちの姿がおもしろくなかった。

『いだてん』に現れる弁髪の人々は、おそらく嘉納治五郎の作った清国留学生向けの予備校、弘文学院速成班 *1 の学生たちなのだろう。魯迅は『いだてん』の時代より少し前の1902年、この速成班に居て二年間を過ごした。先の『藤野先生』の冒頭に書かれているのもその頃の話だ。魯迅は、東京での生活に満足できず、1904年、仙台の医学専門学校に移り、そこで藤野先生に会う。

 「藤野先生」には、人を教えることに対する藤野先生の誠実な態度が静かに、情を込めて綴られる一方で、いくつか見逃せないできごとも記されている。ときは日露戦争の最中(ちょうど四三が熊本で日本の活躍に飛び上がっていた頃だ)、魯迅は学校で日本に勝っている場面を次々と写す幻灯を見せられる。ところが、映し出される写真にたまに中国人が混ざっていることがあった。「ロシア人のためにスパイとなり、日本軍に捕まって、銃殺されるところで、周りを囲んで見ているのも一群の中国人、講義室にはもう一人僕がいた」(『藤野先生』 *2 )。この経験から彼は「およそ愚弱な国民は、たとえ体格がいかに健全だろうが、なんの意味もない見せしめの材料かその観客にしかなれない」と知り、自分たちの最初の課題は医学ではなく「精神を変革すること」であると考えたと、『吶喊』自序 *3 で記している。

 弘文学院は実際には革命前の1909年に閉鎖しており、羽田運動場を作る頃にはすでになかった。一方、魯迅は1906年から1908年まで東京に暮らし続け、文芸誌の発刊を計画したが頓挫する。彼はその後も1912年までたびたび日本を訪れているが、「狂人日記」(1918)を書いて小説家として名を成すのはまだ先のことだ。

 「弁髪の連中」は、『いだてん』の時代が、実は清から中華民国への革命期でもあったこと、そして東京には、日露戦争の戦勝にわき講和に悲憤慷慨する人々とは全く異なる心情を持つ人々が存在したことを、思い出させるのである。

*1 弘文学院(宏文学院)での教育内容や当時の留学生の感情については、坂根巌子「宏文学院における日本語教育 」など、いくつか論文がある。

*2, 3 「故郷/阿Q正伝」藤井省三訳、光文社古典文庫

佐藤幸雄×細馬宏通:「洋楽・ロック訳詞集とその先」ツアー

ボウイにスターマンは見えたのか。ジョナサン・リッチマンにアイスクリーム売りのチャイムはどう聞こえたのか。フレディはユーをいかにロックするのか。洋楽のイマジネーションを求めて繰り出される日本語の冒険! 佐藤幸雄と細馬宏通、理屈のポエジーのふたりから、やけに親密な言葉で次々と明らかにされる古今の洋楽のタマシイと、その先の消息。是非、聴き届けにおいでください。

2/8(金)佐藤幸雄×細馬宏通/ロック訳詞集ライブ 旧グッゲンハイム邸(塩屋)
2/9(土)佐藤幸雄×細馬宏通/ロック訳詞集ライブ 外(京都)
2/11(月)佐藤幸雄×細馬宏通/ロック訳詞集ライブ KDハポン(名古屋)

佐藤幸雄(さとうゆきお)歌とエレキギター。ひとりだったり、バンド「わたしたち」と一緒だったり。
79年頃よりすきすきスウィッチ、PUNGO、くじら、などのオリジナルメンバー。93年頃から長い隠遁。2011年3月11日以降、関係と生活を立て直すうち「歌と演奏など」が再開。爾来あちこちでいろいろと。2019年2月に「わたしたち2(ワタシタチノジジョウ)/佐藤幸雄とわたしたち」(POP鈴木ds、柴草玲pfと)発売予定。
https://watashitachi5.wordpress.com/演奏の記録


細馬宏通(ほそまひろみち)/かえるさん
 バンド「かえる目」にて作詞・作曲・ボーカルを担当。アルバムに「切符」「拝借」「惑星」「主観」。2018年には澁谷浩次との共作集「トマト・ジュース」を発表。かえるさん名義で、各地で歌をうたっている。また、『うたのしくみ』(ぴあ)や連載「うたうたうこえ」(GINZA)など音楽に関する文章多数。その一端はうたのしくみ Season 2 (http://modernfart.jp/2014/05/12346/) で。

「いだてん」周回遅れその3

 まずは手元の絵はがきを一枚。明治期の浅草で、左端から中央にかけて写っているのが活動写真の千代田館。その隣、奥が電気館。右は三友館だろうか。ということは、これは浅草六区を、ひょうたん池の南端から南に向かって見たところ。カメラマンの背中側、池の北端には浅草十二階がでんとそびえているはずだ。

 左手前でピンボケになっている少年が、三友館を見上げる一瞬の表情が、この街に来たことの高揚を示しているようで見飽きない。同じ方向を向いているヒトが何人かいるのだが、あるいは掲げられた看板が見事だったのか、それとも何か見世物があったのか。

東京浅草公園(明治末期の浅草六区を南に向かったところ)

 さて、やはり注目すべきは千代田館にでかでかと掲げられた「不如帰全十一場」の幟と絵看板だろう。これはまさに『いだてん』第三回で、四三と美川が入った演目そのものではないか。

 この絵はがきは明治のいつ頃ものなのだろう。日本映画データベースによれば明治期に『不如帰』は1910年と1911年と二回映画化されている。さてどちらか。その奥の『苦学生』の幟に注目してみよう。こちらは1911年11月15日に電気館(!)で封切りとなっている。ということは、これは1911年(明治44年)の浅草、秋から冬というところではないか。服装もそれらしい。
 もう一押しして、明治44年秋以降の都新聞の広告をしらみつぶしにあたれば、千代田館、電気館その他の上映館でいつ何がかかっていたかが明らかになり、時期がはっきりするはずだ。この作業、都新聞のある図書館でいつかやろうと思いつつ、さぼっております。すみません。

 不如帰のかかっているのが仮に千代田館だとすると、専属の人気弁士がいたはずで、こちらも当時の新聞をくまなく繰っていけば誰かわかるかもしれない。というか、ドラマの中で見事な活弁をふるっておられた坂本頼光さんがすでにご存じかもしれない。

 絵はがきの画像を見るときは、モニタいっぱいに引き延ばして見ることにしている*。片目をつぶって見ていると、だんだん写真の中に入っていけそうな感覚が立ち上がってくる。そうすればしめたもので、あの左端の少年の横を抜けて、雑踏の中にまぎれることだって、できてしまうのだ。活動写真を見終わった四三と美川がひょいとまぎれていったように。

注:* 拡大用の大きな画像へのリンクはこちら
この画像を右クリック(Macならcontrolボタン+クリック)して「別名で画像を保存」すると、お手元で3Mほどの画像ファイルになります。これをモニタいっぱいに拡大表示してお楽しみ下さい。

「いだてん」周回遅れその1と2


 cakesでの連載「今週の『いだてん』噺」は、一回2000字、最大3000字という約束で書いているのだが、すでに書いた二回ともこの最大字数を大幅に超えている。にもかかわらず、噺から削った考えもあちこちある。この調子でいくと、書かなかったことがどんどんたまってしまうだろう。というわけで、ここでは、連載で記さなかったいくつかのことを思いつくまま書いておこう。まとまった論点を示すのではなく、あくまで目についたものを拾い上げる落ち穂拾いの要領で。まあ、気楽にお読み下さい。

クーベルタンの背負い

 第一回、クーベルタン男爵が「日本でライトマンを探してくれ」と言ったあと、気合いをこめて背負い投げを真似るショットが入る。ほんの短いショットで、筋書きの上では必要はない。でも、このショットは、実に井上剛さんらしい演出だなと思った。体で真似てみることには、新しいこと、まだ自分では体得していないことへのあこがれが表れる。この一瞬のショットのおかげで、クーベルタンは単なる好奇心から日本への接触を試みたのではなく、Jiu Jitsu という呪文のようなことばのもとに伝来した、わざへのあこがれを持っていたのだということが、体感される。

 それは、この第一回に漲っている、まだ見ぬものへのあこがれに通じている。

Harry H. Skinner “Jiu-Jitsu” 1904より

四三朦朧

 予選会でゴールした四三は、大きく腕を振り上げて合図を送り、両腕を広げて身構えていた嘉納治五郎の方とは異なる方向へ倒れこもうとする。疲労困憊していた四三にはもはや前方が朦朧としていたのか、それとも目の悪さゆえによくわからなかったのか。おそらく抱きとめられたときも、自分が誰に抱きとめられたのか、四三にはよくわからなかっただろう。あの嘉納先生についに抱きとめられたのだ、という感慨は、そういう意味でも、物語を見る者が特権的に感じているのだと思わされる。

机の上の十二階

 このドラマにはいたるところに浅草十二階のアイコンがでてきて、十二階好きにはたまらないのだが、第二回、海軍兵学校の試験勉強をする四三の机の上に、どういうわけか、十二階の置物があり、避雷針の代わりに鉛筆が差してある(欲しい!)。横には地球儀。つまり、地球の中の東京へのあこがれが、この机上に配置されているようにも見える。
 それにしても誰がこの熊本の山の中に、十二階の置物を持ち込んだのか。病弱の父親が東京見物をしたとも思えない。誰か来客の土産物か。その人はこの不思議な塔のことを、なんと説明したのだろう。

スッスッはーはー

おそらくこのドラマの基調となるであろう、この印象的な呼吸法は、第一回の冒頭、顔のわからない謎のランナーが登場するときにも用いられていた。おそらくドラマの時空を駆ける音のアイコンとして、今後用いられていくのだろう。ところで第二回、子供の四三がこの呼吸法を思いつくとき、さりげなくバックグラウンドの劇伴にも、スッスッはーはーという声がまぎれていなかっただろうか。しかも、スッスッはー、からスッスッはーはーへと移り変わるように。ほんの短い劇伴だったけれど、これがこの呼吸法を、走法のための発明以上のものとして、何か新しいアイコンの誕生として印象づけていたように思う。

うたのしくみ 増補完全版 副読本

うたのしくみ 増補完全版」の中で紹介した音楽について、Web上で参考になりそうな映像や図像を紹介します。オンラインで手軽に映像にたどり着くことができるのでご活用下さい。なお、Spotifyのプレイリストも3種用意されています。


Season 1

第1章の副読本

第2章の副読本

第6章の副読本

  • aiko「くちびる」MV。二人のaikoの映像をスイッチングするタイミングに、演出家のこの曲への解釈が感じられます。

第7章の副読本

  • Oh My Darling, Clementine (英語版Wikipedia)。いとしのクレメンタインの歌詞。単行本に載せたのは、Raph, Theodore “The American Song Treasury 100Favorites” Dover Publication, Inc. New York. (1964)に書かれたものですが、Wikipediaにはさまざまなバージョンの歌詞が掲載されています。
  • フランク・キャプラ「或る夜の出来事」(1934)で、なかなか目的地にたどりつかないバスの中で乗客が退屈しのぎに始めた空中ブランコ乗りの歌」のシーン。ヴァースとコーラスの愉しみを感じさせる名場面。
  • Van McCoy – The Hustle (Official Music Video)。この曲のドラム、「恋人と別れる50の方法」のスティーヴ・ガッド、そしてリック・マロッタなんです。

第8章の副読本

「オズの魔法使い」初版本の挿絵から

第9章の副読本

  • ルディ・ヴァレーの歌う「As time goes by」。オープニング・ヴァースがついてます。
  • ルディ・ヴァレーが舞台からメガフォンで歌ってたなんて、ほんとかしらと思いますが、ちゃんとメガフォンが残ってるんですね。Wikipedia “Rudy Valee”
  • そして、ベティ・ブープの「シンデレラ」に一瞬、ルディ・ヴァレーのパロディが登場します。Betty Boop “Poor Cinderella” 6:58あたりにご注目を。
  • ルディは実写でもフライシャーのアニメーションに何本か出ていますが、「カンザスシティのかわいこちゃん」はアニメーションもとっても楽しい。フライシャーの歌のシステム、「バウンシング・ボール」については拙著「ミッキーはなぜ口笛を吹くか」(新潮選書)をどうぞ。

第11章の副読本

  • キャブ・キャロウェイのテレビ出演の映像 (1958)キャブがだいぶ年をとってからの1958年の映像ですが、すばらしいパフォーマンスです。
  • 短編映画『ハイ・ディ・ホー』(1934年)。この映画、筋運びもなかなかおもしろいので、できれば最後までよく見て下さい。キャブは、後のレイモンド・スコットを彷彿とさせるナンバー「レール・リズム」、「ミニー・ザ・ムーチャー」の続編であり、より複雑なスキャットを入れた「ザ・ズ・ザ」、そして扇を持ったショウガールたちと戯れる「ザ・レディ・イン・ザ・ファン」を演奏していて、彼の魅力がたっぷり楽しめます。
  • キャブの姉、ブランチ・キャロウェイとジョリーボーイズの「It looks like Susie」
  • キャブ・キャロウェイといえば、ベティ・ブープのカートゥーン「Minnie the Moocher」「Snow White」「The Old Man of the Mountain」をはずすことはできません。キャブとアニメーションとの関わりは「ミッキーはなぜ口笛を吹くか」(新潮選書)に譲るとして、ここでは、彼の足の動きを見事に写し取った「Snow White」を見てみましょう。

第13章の副読本

書影
アレクサンダー・ラグタイム・バンドのシート・ミュージック
書影
メイプル・リーフ・ラグのシート・ミュージック

第16章の副読本

第17章の副読本

第18章の副読本

第20章の副読本


Season 2

第1章

第2章

第4章

第6章

EW&F 「セプテンバー」(Official Video)

第7章

第9章

第10章

Talor Swift 「We are never ever getting back together」オフィシャル・ビデオ

第13章

第14章

第15章

第16章

第17章

第18章

第19回


劇団・地点『駈込ミ訴ヘ』
(KAAT神奈川芸術劇場)2013.3.7 (2013.3.13掲載)

 このところ、『CHITENの近現代語』『光のない』そして今回の『駆込ミ訴ヘ』を見て、わたしにとっての「地点」の劇はますますはっきり像を結んできている。それは、短く言えば、「代名詞句の劇」ということだ。ただ、代名詞句がキーになっているというだけではない。代名詞句によって、観客と演じ手の立場をがらりと変え、それまで積み上げてきた会話をがらりと別物に変換してしまう。
 『駆込ミ訴ヘ』では、それは、「あの人」であり「あなた」であり「あいつ」だ。

——-以下、内容に触れています。これから観たい方は見終わってからどうぞ——

 今回の『駆込ミ訴ヘ』は、原作を読んでから観た。劇で用いられることばはすべて原作のものだったが、原作を読んだときとはまるで違う感覚を引き起こされた。

 原作の『駆込ミ訴ヘ』は、「申し上げます。申し上げます。旦那さま。」という声から始まる。題名を裏付けるように、駆け込んできた1人の男が「旦那さま」に訴えるかのように始まるのだ。
 ところが、地点の劇の始まりはちょっと違う。まず冒頭から5人の登場人物が、あたかもマラソンの練習でもしているかのように、前後しながら舞台上で駆けている。5人は常に観客の方を向いており、お互いにことばを交わしあうことなく、語る細胞のように離合集散する。彼らのことばは掛け声をかけたり奇声を発したりしながらあちこち重なっており、最初の「申し上げます。旦那様。」という文言は言ったのか言われなかったのかはっきりと聞き取れない。気がつくと、「あの人は、酷い。酷い。」と、語りはもう、旦那さまをすっとばして「あの人」の話を始めている。

 観客はしばし「あの人」の話につきあわされる。おかしなことだ。これは「訴え」なのに。
 「あの人」ということばは、聞き手を待たせる。「あの」ということばは、話し手と聞き手を非対称にする。「この」と言われればそこに注意を向ければいいし、「その」と呼ばれたら過去の会話を探せばよい。けれど、「あの」と語り手が呼ぶならば、聞き手は、語り手がその「あの」を思い出すまで待つよりほかない。聞き手は、訴えられているというよりは、待たされているのだ。
 語りには、「あの人」という呼称とは別にもう一つ、聞き手を揺らす装置が仕組まれている。それは語尾変化だ。語りは、「です」と報告をするように丁寧語を使うかと思えば、「だ」と独白するように断定する。「あの人」を想起しようとして報告と独白の間で揺れる語りを聞きながら、聞き手である観客はただ壁パスの壁よろしく、語り手が思い出すための壁にさせられるかのようだ。

 この、観客にとってもやもやとした時間が、突然、変化したように思えたのは、安部聡子が「私はあなたを愛しています」といったときだった。突然、語りが軽くなった。

 わたしはあなたをあいしています。あちこち屈曲するイントネーション。傀儡のように上半身をこつ、こつと倒しながら(しかも駆けながら)安部聡子が語るその台詞には、「愛しています」ということばの素直さも陳腐さも響いていない。そのかわりに、その軽い語りの中で浮き出しているのは、「あなた」という二人称の響きだ。これは告白だ。
 告白なら、もっと重いはずだ。しかしこの告白は軽い。「あ↑な↓たはわ↑た↓しをあい『し』ています」。聞き手にその内容を聞かせるためとは到底思えない、変形されたことば。ことばのイントネーションだけを届けるようなことば。「あなた」は観客ではない。語り手はまるで観客のことなどお構いなしに、頭の中でありありと「あなた」を想念している。もはや聞き手のわたしは「あの人」を待つ必要がなくなった。待たされる役から離れて軽くなり、いまや「あなた」に耽溺する語り手たちの目撃者となっている。
 この軽さには驚いた。

 あとで、原作のこの箇所を読み返して、二度驚いてしまった。

 一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容《おももち》をするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ。まことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、頭に膏《あぶら》を塗り、微笑《ほほえ》んでいなさるがよい。わからないかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだって在るのだよ」そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。(『駆込ミ訴ヘ』)

 原作でも、このとき語り手はまさに、「あの人」のことばを想起した直後に、「あの人」を「あなた」と呼び変えている。しかし読んだときには、このさりげない変化に正直気づかなかった。そして原作では、この語り口の変化は「軽さ」として感じられるどころか、むしろ想念が真に迫っていくように響いている。地点の劇を観て、初めて、「あなた」という呼びかけから「軽さ」が生じうることに気づいたのだ。

 語り手は、「あの人」の行為をただ評するのではなく、「あの人」が自分に向けて語ったことばを思いだそうとして、もはや「あの人」を「あの人」と呼ぶ距離を保てなくなっている。「あの人」のことばに応えるように、語り手は「あの人」を「あなた」と呼ばざるをえない。そのような、「あの人」と「私」の距離の変化が露頭のように剥き出しになったのが「わたしはあなたをあいしています」だった。「あなた」のほうが語り手に近く切実なはずなのだが、観客にとっては「あなた」の方が軽い。それはたぶん、もう待たなくてよくなったからだ。「あの人」がどのような人であるか、その報告を待つことから解放される軽さは、劇の発明だ。(「ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。」と唱えるときの、安部聡子による猩々寺のたぬきばやしのような韻律の軽さが忘れられないのだけれど、これも「あなた」の軽さによるものだ)。

 劇中、オープンリールのテープレコーダーを持った男が歌いながらやってきて、この劇で繰り返される「得賞歌」を生の声で歌う。「ダビデの子」を称える歌。それは、キリストのエルサレム入場を迎える讃美歌だ。

 日本の表彰式で決まって流される『得賞歌』は、歴史的にいくつものレイヤーを持っている。まず、『得賞歌』はもともと、ヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカベウス』の中で歌われる『見よ勇者は帰る』というタイトルである。(オラトリオのタイトルは「ユダ」を、『見よ勇者は帰る』というタイトルは『走れメロス』を想起させる)。さらに、それは19世紀に「よろこびやたたえよや」というイエスのエルサレム入場を迎える讃美歌となった。讃美歌は、原作の『駆込ミ訴ヘ』で語り手が告げる「私たちは愈愈あこがれのエルサレムに向い、出発いたしました。」というエルサレム入場の場面を歌っており、歌い手の入場は、あたかも想念されている「あの人」の入場を先導するようだ。
先導するようだ、と書いたけれど、歌い手のあとから「あの人」がついてくるわけではない。そのかわりに、歌い手はオープンリールのテープレコーダーを携えてきており、そこでは陰陽師の用いるヒトガタのような紙の十字架が、くるくる回っているのである。観客にとっての「あの人」、語り手の想念の中だけにあって観客には手の届かない記号のような「あの人」よろしく、ぺらぺらの紙の十字架は、周回することをやめない駆けっこのように回り続けている。まるで、「あの人」を待つことの空しさと終わりのなさを示すように。

 劇の後半、観客の立場は、再び変化させられる。
 それは窪田史恵が、「旦那さま」ということばを高らかに発したときだった。
 「旦那さま」ということばを聞いて、そこまで「あの人」と「あなた」の往復にはまっていたわたしの頭はにわかに冴えた。劇を観ているうちに、わたしはこれが「訴え」だということをすっかり忘却の彼方においていた。それが「旦那さま」ということばで急に思い出された。そうそう、この語りのすべては「訴え」だった。「あなた」によって軽くなった告白は、「旦那さま」という相手を得てまた重くなる。「あの人」は、もはや「あいつ」とまでにののしられる。これは「訴え」が諄々と行われる劇ではない。告白の情動が、訴えへと形を為していく、その時間をそっくりそのまま、劇にしたものだ。語りの形式が情念を駆動し、訴えを産み出し、観客を産み出していく。

 訴えはさらに緊張を帯びる。語り手は、訴えの報酬である金を受け取ろうとして思わず、床にたたきつける。「金が欲しくて訴え出たのでは無いんだ。ひっこめろ!」硬貨のばらばらと散る、硬い音とともに、訴えが一瞬、独白へと引き戻る。ここにはパンも血もない。訴えの対象は血肉を持たない。乾いた金の音だけがある。「いいえ、ごめんなさい、いただきましょう」。語り手は、また下卑た丁寧語を発して、いったんはたたきつけた金を受け取る。訴えがいよいよ押し詰まったとき、語り手は自らの名前を名乗る。「はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。」と丁寧なことばづかいのあと「旦那さま」に対して発せられるその名前は、原作では訴えの終わりにぽつんと置かれている。

 イスカリオテのユダ。

 原作では、その名前は、訴えに釣り合う重みを持って、物語の終結に置かれる。その名前は、物語では唱えられないもう一つの名前、イエス・キリストのことを想起させる。

 しかし、小林洋平はこの名前を、「ユ、だー」と、あたかも断定の助動詞を口にするように発音する。まるで下卑たバカ丁寧な報告から、独白へととつぜん想念の向きを変えるかのように。そして同時に、旦那さまという報告の相手を消去し、観客へととつぜん想念の向きを変えるかのように。ユダとイエス・キリストを想起させる代わりに、舞台と客席の関係を想起させるかのように。
 5人の語り手は、今やへっへと笑い、訴え手であることを辞めて、語りのオブジェのように突っ立っている。傾斜のついた高い天井のある舞台でぽつんと立っている5人は、埋まらない空間を、巨大な空白を空白のまま、さし示すかのようだ。オープンリールを抱えた歌手が「あの人」の入場を称える歌を歌っている。紙の十字架が回っている。「あの人」はいない。ここに「あの人」がいないからこそ、「あの人」を語るこの独白は訴えになる。訴えは訴え先を必要としている。それはあなただ観客さま、と、終わりのことばはわたしのことを言いあてるようだ。「ユ、だー」。

かえる目の12月 2018

伊那:2017年12月かえる目ツアーにて

2018年12月14日(金)渋谷 7th FLOOR
開場19:00 / 開場19:30
前売3000円 / 当日3300円
出演:細馬宏通、宇波拓、木下和重、中尾勘二

Tickets:
7th FLOOR 店頭予約:11/1(木)〜12/13(木)(16:00-22:00)
7th FLOOR 電話予約:11/1(木)〜12/13(木)(15:00-20:00 tel:03-3462-4466)
メール予約:kaerumoku@gmail.com(メールタイトルに「かえる目の12月」とご記入の上、本文にお名前と枚数を添えてお送り下さい)

結成14年、アルバムデビュー以来11年、もはやビートルズを越える歴史を持ちながら、ベテランらしからぬ危うさを保ち続けるかえる目、東京で1年ぶりのライブ「かえる目の12月」は、未発表曲を含め、年末にふさわしい曲目の数々でお送りします。

カーネーションのあった朝

 勤務先が自転車で15分の場所にあるおかげで、朝の連続テレビ小説を見て出勤するのが長年の習慣になっている。気の合う作品と出会えると、朝の仕事にもその作品に合った調子が出て、半年間がその作品の緩急にうっすら染まる一方、一、二ヶ月で見落とすようになってしまうこともあり、そんな場合は、ドラマもそこそこに出勤してしまう。これまで、最後まで見続けたものは『オードリー』『てるてる家族』『芋たこなんきん』『ちりとてちん』と大阪放送局制作のものが多い。

 『カーネーション』を、3/31まで楽しみに見続けた。『カーネーション』を見ていると、作者や演出家、スタッフが、朝の生活をいかに丁寧に描いているかがよくわかった。早い朝、眠い朝、ミシンを踏みながら迎えてしまう朝、朝帰りの朝、子どもを蒲団から追い出す朝の光が描かれ、時代ごとにかわる衣装や家のつくり、調度に配慮が行き届き、物語の朝が、見ているこちらの朝に染みてくる。

 尾野真千子演じる糸子が、年齢を重ねたある朝、「おはようございます」と、冒頭のナレーションで挨拶をした。あたかも視聴者に朝の近況報告をするように、あれだけ苦手だった早起きもできるようになるから年はとってみるもんです、と言う。時代がいつかを説明するかわりに、朝のあり方が変わったことを親密に告げ、時代の移り変わりを言い当てる。朝にこの物語を見る視聴者のことが、作者にはよく見えているのだなと思った。

 一方で、この物語の一筋縄ではいかない展開には、朝からぎょっとさせられることもあった。

 尾野真千子から夏木マリへと役者が交代した三月のある土曜の朝、ほっしゃん。演じる北村を相手に、糸子がだんじりを見る窓の張り出しにもたれ、しみじみと来し方行く末を語る場面。それは同じ日の、千代が一階に集った人びとの合間に善作を見出す場面と並んで、物語のクライマックスだったといってよい。ところが、そのしみじみとしたやりとりを経て、尾野真千子演じる糸子が大写しになった直後に、突然、老いた糸子が蒲団の中で目覚めるところが天井から捉えられる。「おはようございます。年をとりました。」まるで、五ヶ月突き合ってきたこの作品が全部夏木マリの見ていた夢と化したようで、尾野真千子の演じ続けてきた糸子があわれに思えたのを覚えている。

 夏木マリのゆっくりとした平坦なナレーションは、当初、阪神で生まれ育ったわたしには違和感のあるものだった。が、それくらいのことで見続けるのをあきらめるには、この物語の続きはあまりにも楽しみだった。それまで好きだったキャラクタはみな写真に収まってしまい、映像はプラスチックな風合いになり、若い孫娘がなじまないサンダルとヤンキー風の服に身を固めてここまでの物語を踏みしだくように登場し、ドラマが保ってきた肌理はすっかり失われてしまったが、この肌理のなさは、いかにも1980年代の肌理のなさであった。そしてこの、さびしさを受け止める肌理すら失われたさびしさの感触は、だんじりの日に北村が糸子に予言するように告げた、どうせいっこずつ消えていく、おまえここにいちゃったら一人でそれに耐えていかないかんねん、しんどいどー、ということばを言い当てているようでもあった。リンリンではなくトゥルルルと鳴る電話、あほぼんたちが差し出すつるつるのワープロの企画書など、細かい演出や小道具にも、時代の肌理の変遷がよく写されていた。暴走族の襲撃で店のガラスが割られ、孫のなけなしのクリスマスケーキがつぶれてしまい、そのつぶれたケーキを夏木マリ演じる糸子が噛みしめる場面を見るにいたって、この肌理のなさは確信犯だなと得心して、新しい糸子による朝の15分を見続けた。

 夏木マリ演じる糸子になじみ始めたのは、やはり朝の描写がきっかけだった。階段から落ちて介護ベッドで生活せねばならなくなった糸子は、孫娘とベッドの上でテレビを見るようになり、朝にやっている連続テレビ小説に気づく。それまでの糸子はこの時間にはもうテレビを見る間もなく忙しく働いていたのだな、と改めて思わされる。そのとき、糸子の見るテレビから流れ出した『いちばん太鼓』の音楽は、それを見たことのない人にも、「朝ドラ」と呼ばれる前の「朝の連続テレビ小説」の気分、「主題歌」ではなく「テーマ音楽」で始まり、15分するとニュースへと席を譲る朝の物語の気分を伝えるもので、鳩子の海だとか、マー姉ちゃんだとか、おしんだとか、ふたりっ子だとか、そういう朝のひとつを思い起こさせるようなメロディだった。かつての連続テレビ小説を見る主人公の朝と、それを見ているこちらの朝とが重なるようにも思われ、そこまで少し快活過ぎるほどに見えた夏木マリの声や演技にも、落ち着きや親しみを感じるようになってきた。

 江波杏子、山田スミ子、中村優子(まさか最終回に現れるとは…)の絶妙な配役や、糸子がプレタポルテを始め出してからぐっと輪郭の付きだしたあほぼんたちとのやりとり、竹内郁子、小笹将継、中山卓也らの役回りを楽しみながら迎えた三月の最終回もまた、朝に見た。 「おはようございます。死にました。」という夏木マリの人を食ったナレーション。そうだった。『カーネーション』のナレーションは「うち」という主語を要所でうまく略して、前置きなしに近況を単刀直入に告げるのだった。それにしても、死んでもまだ語るのか。

 これまで、この物語のナレーションには、第三者の視点を排した、あくまで糸子の意識に沿ったことばがあてられていた。糸子に見えないものは、ナレーションからも語られない。糸子が遅れて気づいたことに、ナレーションも遅れて気づく。ナレーションはそのまま、糸子のひとりごとに漏れることもしばしばだった。尾野真千子演じる糸子の大きな魅力は、子どものようなうかつさにあり、糸子に恋心をいだく男が寄ってきても、幸運が近づいてきても、ナレーションは「なんやのん」「なんで」と、その意味にはっきりと気づくことはない。そして「気がついたら」誰かがそばにいて、何かがうまくいっている。最終回の直前の金曜日、主人公が亡くなってしまい、あの、糸子の意識にぴったり沿ったナレーションはどうなってしまうのかが、まっさきに気になった。そうしたら、死んだ糸子があっさり「死にました」と挨拶した。この声はどのような身分で、どんな意識から発せられている声なのか。

 「死にました」と語る糸子のナレーションは、それまでの生身の糸子から解き放たれたように、自分の居場所を自在に移動させていく。「そば/そら」「しょうてんがい/しんさいばし」「みどり/ひかり」。韻を踏んだことばが、ともすると安い詩になるのを嫌うかのように、「しょうてんがい/しんさいばし」というアキナイのことばが差し挟まれて、わらべうたのような稚気を出している。そうした稚気は、呉服屋から始まってずっとあきないの物語の中心にあった主人公の声に似つかわしい。脚本家、渡辺あやのことばづかいは繊細だ。
 ナレーションは「みどり/ひかり/みずのうえ」と続いて、韻を破る。そのことで、「緑/光」と名詞の対比に聞こえたことばが、「緑、光り、水の上」とも聞こえる。ひかりは、緑を照らす名のようでもあり、水の上に移る動きのようでもある。名と動きの間で揺れる「ひかり」は、このナレーションが生身を離れたことによって得た、新しい装いであるかのように響く。 みずのうえにそらが映っている。そのみずのうえのそらから離れた声は、「なんぞおもろいもんをさがしにいく」。おもろい、ということばは、たくらみを思いついた善作が幼い糸子ににやりと笑ってささやく呪文、糸子自身が新しいたくらみを思いつくたびに繰り返してきた呪文だ。

 自動ドアがあき、なにものかが通ったかのように玄関の植木が揺れる。カメラは視聴者を病院の一室へと誘い、そこから車椅子の女性があらわる。女性の顔はよく見えない。病院の待合室へと押されていくその女性が誰なのか、もはやナレーションは黙して語らない。が、長らくこのドラマを見続けてきたものなら、ここでこのような形でひとり現れるのは、奈津しかいないと直感できる。この物語ではずっと、見る者の感覚が信頼されてきた。最後もやはりそうなのだろう。
 その奈津が、待合室のテレビで『カーネーション』の第一回が始まるのを見ている。奈津の見る姿に半年前のわたしを重ねていると、カメラは次第にテレビの画面を大写しにしていく。「8:01」の文字が左上に見える。いまわたしの見ているテレビの画面には、「8:12」の文字が見えている。二つの朝の時刻が近づきながら、物語の中の90年間とこの半年間とを、二つながらきゅうと圧縮していく。やがて画面は一つになり「二人の糸子の歌」が流れる。10月、この歌の場面のもつ遊び心に、きっといい半年になるなという予感を持ったことを思い出す。その半年前に、年老いた奈津が配されている。さきほどまであちこちしていた声の主も、いまはその「そば」にいるのだろう。

 半年前、わたしのまだ知らない物語の始まりを、わたしは見ていた。その物語の終わりに、物語を終えようとする彼女たちがその始まりを見ている。これはただの入れ子でもループでもない。半年間という長い時間の感覚を、人の生というさらに長い時間に重ね、その重なりを記憶の時間として花束のように差し出す、愛らしい物語の閉じ方だ。これから先、幾度か思い出すことになるだろうこの物語の始まりは、ただの始まりではなく、奈津の見る物語の始まり、奈津の覚えている糸子の物語の始まりとなるだろう。

 朝といえば、ほっしゃん。演じる北村が、小原家の畳の間で迎える朝の場面は、これまでの連続テレビ小説では見たことのない朝だった。
 前日、小原家で洋装店の見学をした北村は、そのまま夕食の歓待を受ける。男家族に育ったという北村は、糸子の母千代の柔らかい物腰にすっかり参ってしまい、「おかあさん、仏さんでっか」と酔いながら絶賛するうちに、寝入ってしまった。
 朝、食事の支度の音とともに、おっちゃん寝てるよってな、おこさんようにな、と糸子の柔らかい声がする。畳の上を駆ける子どもの丸い物音が近づいてくる。その末娘の聡子の足が、北村の目の前を通り過ぎて、表の新聞を取りにいく。からりと扉が開いて、朝の淡いひかりが北村にかかる。北村は薄目を開けて、しかし体を起こすことなく、おこされなかったおっちゃんの振りをしている。糸子の気遣いを裏切ることなく、幼い足取りを裏切ることもなく、聡子の招き入れた朝のひかりを浴びながら眠っているふりをすることで、北村は小原家にとって、特別な存在になる。おそらく、この場面のほっしゃん。の表情で彼のファンになってしまった人は全国で一千万人いるのではないか(わたしもその一人だ)。

 その後、北村が、長じた聡子に喫茶でケーキやパフェを譲る「茶番」を繰り返すたびに、ああこれは、あの朝からずっと続く聡子との契約なのだな、と、北村のしあわせをお裾分けしてもらうような気がして、すがすがしくなった。『カーネション』のある朝は、そういう朝だった。

2012.4.1. 細馬宏通
(旧ブログ「Fishing on the Beach」掲載)