キャラバンを見るまで13’31”

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(16) 93/10/13 02:04

 1曲めでいきなり違和感を感じずにはいられなかった。ぼくはいままで小山田圭吾と小沢健二のどちらが歌っているのかなんて考えるほど熱心なフリッパーズ・ギターのファンではなかったし、このソロアルバムにも、あの細いけれど妙に透明感のある声の重なりを予想していたわけだ。

 「犬は吠えるがキャラバンは進む (TOCT-8183)」

 で、とりあえず思ったのは、「声が妙に低くて太い」ということで、さらに「すごく下手っくそだ」ということで、そのあまりに不安定な音程がぼくの神経を確実に逆撫でした。歌の下手さについてどうこう感じることなど滅多になくなったけれども、久々に癇に触る歌声だった。
 その声によってあちこちで突き出してくる独特の単語。急ぎすぎていることば。毎日毎日毎日という英語がつたない発音で、性急に歌われる。かつてフリッパーズ・ギターはアルバム一枚まるまる英語の詞を、ごくすっきりと歌ったこともあった。それがウソのようだ。
 「向日葵はゆれる」を聴きながら、なんだこれは、まるで吉田美奈子ではないかと思う。それにしてはやけにあっさりと終わるように感じる。そのように感覚はまるで落ち着かない。やがて、「天使のルール」が鳴り始めても、なにかもったりとしたリズムだと思うくらいで、ジェイク・H・コンセプションのあまりに快適なサックスソロにいたっては、なにかがっかりしたような感じさえする。そのまま仕事をすることにする。

 で、2度めのサックスソロにさしかかる頃、急に「あれ」が来た。

 ある種の曲を聴いたときに感じる否応のない推進力。どうあろうと進んでいるとしかいいようのないリズムの力。神様が現れ消えて、しかしその神様に関することばどもは吉田美奈子のある種の歌のように、あるいはフライング・キッズのある種の歌のように、視点を変化させ、確かな距離を持って響いてくる。それにしてもそれらに比べて、まったくなんて下手っくそで無防備な声なんだろう。

 そして、その無防備さとか、個人的なことどもを恥ずかしげもなく盛り込んだ詞とかを、ようやく「タフ」だと感じるようになる。

 そして何回か聞き直すうちに、若すぎる声に相変わらずあちこちでつっかかりながらも、ときおりそれがつっかかりとしてではなく、ある種の輝きとして感じられることがあることに気づく。あの、毎日毎日毎日、ということばすらも。

 たぶん個人的なゴスペル、というおおよそありえない表現に、ぼくは会ってしまったのだろうと思う。そしてそのように口にされる「神様」ということばが放つ強さについて、考えなければならないだろう。