じゃんけんする身体

細馬宏通

 子供の頃、西宮から枚方に移り住んだ。そのときとまどったのが、じゃんけんの違いだった。西宮にいたころは、「いんじゃんほすっ」と威勢よかったのが、枚方に移った途端「いーんーじゃーんーで、ほーい」。お公家さんのような間合いになった。どうにも調子が上がらなかったが、それでもなんとか合わせた。
 最近の学生に聞くと、やはり子供の頃のじゃんけんは地方によって違いがあり、個人差もあると言う。ところが、異なる出身地の者どうしが集まっても、じゃんけんはたいてい一回で成立する。しかも速い。「最初はグー」と前置きをつけてから、猛烈な早口で「じゃんけんほい!」。何の問題もない。不思議だ。
 世の中には、じゃんけん必勝法なるものを説く人までいるけれど、もし確かな勝ち方がわかってしまったら、じゃんけんは早晩すたれてしまうだろう。わたしたちが小さい頃から学んできたのは、誰かを出しぬいてじゃんけんに勝つことではない。むしろ、後出しをしないこと、自分の手を公平に委ねるべく、「同時に」手を出すことである。しかし、おのおのが少しずつ違う言い回し、違うリズムを想定しているのに、どうやって「同時に」手を出せるのか。
 最近、ゼミの学生とこの問題を調べ始めている。やり方は簡単、三人の学生に集まってもらってじゃんけんをしてもらい、その過程を細かく分析する。
 意外な手管がいろいろ浮かび上がってくる。すでに「最初はぐー」を言う前から、ことは始まっている。たとえば誰かが拳を付き出して止める。あるいは誰かが最初に無言で二三度空振りしてリズムを出している。それを見て残りのメンバーは、第一声がいつ来るかを予測する。その声も、はじめからぴたりと三人で一致するとは限らない。たとえば誰かが、舌と口の上の隙間から空気が漏れる音を出す。他の人はそれを聞いて次の音の先触れだと気づき、あわてて拳を身構える。音を出していた当人は、他の者が身構えたのを見て、すいと拳を出しながら、ただの息漏れだった音に声帯の震えを乗せて「さ」と発音する。これが「さいしょ」の「さ」になり、三人の拳が一堂に会する。
 ときにはお互い全く異なるリズムでばらばらに始めてしまう組もある。しかし、遅いほうが手を止めて、相手の振り下ろした瞬間に「ぐー」を出したり、逆に速い振りをしているほうが上下を一回休んでテンポを合わせて、「ぐー」という頃にはぴったり合っている。こうしたつじつま合わせはコンマ秒単位の非常に短い時間で起こる。しかも同じ組でもやるたびに違う。
 どの組の微調整ぶりもあっけにとられるような見事なものだが、「わたしたち、いますごいじゃんけんしたよね!」といった感想を聞いた試しがない。当たり前過ぎて意識にものぼらないのだろう。でも、おそらくじゃんけんをする人なら誰でも、こうしたとんでもないことを、けろりとした顔でやってのけているのである。

(ほそまひろみち・滋賀県立大教授・人間関係学)
「現代のことば」(京都新聞夕刊2面、2011.2.23) より

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