なんとよく動く身体だろう、というのが第一印象だった。
わたしが調査している高齢者向けのグループホームでは、月に一回、カンファレンスと呼ばれる会議が行われている。日誌をもとに一人一人の入居者の様子を介護スタッフがお互いに報告しあう会である。最初は日誌を読み上げながら淡々と進むので、いかにも会議という感じがする。ところが、施設長が「最近、○○さん、お風呂どうですか?」と質問を投げたとたん、様子は一変する。鉛筆を置いて話し出すスタッフの身体の動きときたら、これまでわたしが行ってきたどんなジェスチャー研究でも観たことがないものだった。後ろから脇をぐいと抱える。お風呂の壁につく手の位置を誘導しながら腰をゆっくり沈めてもらう。はずれかけた入れ歯をはめる。足の位置はこう、腰はこう。似た経験を持つスタッフが、わたしはこうやわ、と別の手つきで応じる。一人一人の入居者のちょっとした癖、ベッドからの起き上がり方、ソファでの座り方、スタッフを呼ぶ声色にいたるまで、まるでそこにスタッフとその人がいるかのように活き活きと表される。
さらにおもしろいのは、介護スタッフどうしが、ジェスチャーをしばしば同時に行うことだ。会話の最中、わたしたちはお互いの声を聞こうとして声が重なるのを避ける傾向がある。ところが、ジェスチャーはそうとは限らない。相手の体が動いているときにこちらの体が動いても、それは邪魔にはならない。介護スタッフのジェスチャーは、経験を語り合いながら頻繁に重なる。重なることで、お互いの身体の使い方のちょっとした違いが、はっきりと目に見える形で対比される。
わたしたちのジェスチャーは、声とともに終わるとは限らない。たとえば、「これは何?」と声を出し終わったあとも、さした指をすぐにはひっこめずに、相手が「ペンだよ」と言うのを聞き終わって初めて、「ああ、そうなんだ」と指をひっこめる。自分のことばが終了したあとも相手のことばが発せられるあいだ続くこうした動作のことを、わたしは「延長ジェスチャー」と呼んでいる。そしてこの「延長ジェスチャー」が介護スタッフの間では多発するのである。たとえば、ある入居者が別の入居者に新聞を渡す様子を、一人の介護スタッフが、身振りをまじえて話す。彼女は話し終えたあと、身振りを引っ込めずに、しばらく新聞を渡すポーズを続ける。すると、別のスタッフが「いや、こうやろ?」と、違う身振りで目に見えない新聞を渡す。「そう!」と、別のスタッフも動く。あっという間に、何種類もの新聞の渡し方が一堂に会する。「あ、そうやわ!」と最初のスタッフは自身の動きをやり直す。
ことばとともに身体が相手に問いかける。ことばは消え、身体は残る。残った身体に向けて、相手は別の身体で応じる。かくして介護する身体はみるみる更新されていくのである。
(ほそまひろみち・滋賀県立大教授・人間関係学)
「現代のことば」(京都新聞夕刊2面、2010.12.16) より