立ち上がるために必要なこと

細馬宏通

 若いときには何の考えもなく当たり前にできたことが、年をとるとともに簡単にはいかなくなる。たとえば立ち上がるという動作ひとつとってもそうだ。大学で学生に「さあ、立とうか」と声をかけると、椅子も引かずに弾かれたようにぴょんと立つ。若いなあ。そういう私だって、昔は何の苦もなくひょいと立ち上がっていたような気がするのだが、気がつくと、テーブルによいしょと手をつき、体を前傾させ、腰をいたわるように立ち上がっている。年をとることによって、これまではひとかたまりに捉えていた体の動きが、実はいくつかの活動の集まりであることに気づかされる。

 この問題が意外に重要だと思うようになったのは、ここ数年、高齢者向けのグループホームに調査で通うようになってからのことだ。入居者の方々の日常生活を拝見していると、日々のちょっとした動作が、一筋縄ではいかないことがわかってくる。たとえば、立ち上がるという行動がそうだ。

 介護に不慣れな学生に立ち上がりを手伝ってもらうと、座っている相手を上に引っ張り上げようとする。相手がいっかな立ち上がらないので、その気がないのだ、と誤解する人もいるけれど、実は、腰に負担がかかってとても立ち上がれないのである。だから、椅子に座っているお年寄りに立ち上がってもらうときには、手を上にではなく、手前下にゆっくり引く。すると、相手は座ったまま前傾姿勢になり、自然と腰が浮く。ここでさらに力を加減しながら手前に引いていくと、そろそろと腰が上がって、立ち上がっていただくことができる。

 しかし、認知症が進んだ方の中には、こちらが手を前に差し出しても、なぜかまた腰を落ち着けてしまう方がいる。こうなると、ちょっと経験のある介護スタッフでも、今は気分じゃないのかしら、と困ってしまう。ところが、あるベテランのスタッフがやると、なぜかうまくいく。どういうことだろう。ビデオに撮影してあとからコマ送りにしてみてからようやくそのわけが判った。なかなか立ち上がらないお年寄りをよく観察すると、立ち上がりかけて、ふとテーブルのお茶に目が移っている。あるいは、布巾やシミをじっと見つめておられる。「立ち上がる」という行動がまとまりかける前に、注意がそがれているらしい。その介護スタッフは、テーブルの側に自分の体を入れたり、注意をそらしそうなものを片手でひょいとどけながら、同時に、立ちましょう、と声をかけ、相手の視線が差し出した手に来た瞬間に、ひょいと手を引いている。あれあれと思う間にお年寄りは立ち上がる。見事なものだ。

 立ち上がりに必要なのは、足腰の力だけではない。立ち上がりに向けて、注意が絞り込まれ、視線、姿勢がダイナミックに変化する必要がある。注意の行き先を介助する、というやり方もあったのか。まだまだ勉強が足りない。

(ほそまひろみち・滋賀県立大教授・人間関係学)
「現代のことば」(京都新聞夕刊2面、2010.10.18) より

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