Who is Raymond Scott?




「Luluby」というレイモンド・スコットの曲をかけながらこの文章を打っている。1960年代前半に、彼が自作の「エレクトロニウム」を含む電気楽器を使って作った曲だ。ペリー&キングスレイのエレクトリカル・パレードのように愛らしく、クラフトワークの「ヨーロッパ特急」よりも過激な、この人類のための子守歌は、ポップ・ミュージックとしてでも最先端の電子音楽としてでもなく「赤ちゃんの気分を和らげる音楽集:1〜6ヶ月児用」というアルバムの中の一曲として発表された。レコードには「ゲゼル小児発達研究所」のブックレットが付いていた。

レイモンド・スコット。変てこな題名の曲を演奏するジャズバンドのリーダー。ワーナー・ブラザーズのカートゥーン音楽の作曲者。ラッキー・ストライクのジングルの作曲者。キーボード・テルミン「クラヴィヴォックス」の開発者。そしてなぜか赤ちゃんのための音楽。それらの音楽のあちこちから聞こえる、ちりちりとなにかがはぜるようなクリスピーな響き。つまり要するに早い話が、レイモンド・スコットっていったい誰なんだ?

ここでは、いくつかの文献を頼りに、彼のあまりに多彩な音楽の一端に触れておくことにしよう。


クインテットはセクステットよりクリスピー


レイモンド・スコット、本名ハリー・ワーナウは、1908年(1909年という説もある)ブルックリンに生まれた。父親はミュージック・ショップを経営していた。店には楽器ばかりでなく、音楽に関するありとあらゆるものがあった。この雑多な音楽環境が子供たちに影響を与えたことは想像に難くない。ラジオや機械に興味のあったハリーは技術専門学校に入ったが、兄のマークに誘われて音楽の道に入った。

1930年代後半になって、ハリーは「レイモンド・スコット・クインテット」を結成し、ピアニスト兼バンドリーダーとしてその名を知られるようになった。彼の作る曲は「Reckless nights on borad an ocean liner」(遠洋定期船上でのむこうみずな夜)といった奇妙なタイトルのものが多かった(まるでサティみたいだ)。彼にはどうやら言葉の音に対する独特の感覚があったらしい。「レイモンド・スコット」という芸名からして、マンハッタンの電話帳から響きのいい名前を選んでつけたものだった。楽団は6人編成なのに「クインテット(5人)」と名付けられた。「クインテットということばがクリスピーに響くから」というのがその理由だった。

レイモンド・スコット・クインテットの演奏は、

The Music of Raymond Scott: Reckless Nights and Turkish Twilights. (
Columbia 53028)

で聴くことができる。カートゥーンのような飾り文字、裏にはステレオ写真があしらわれたキュートなデザインのCDだ。ぼくはこのアルバムを車の中でしょっちゅうかけるけれど、街中の渋滞であろうが、がら空きの高速であろうが、音楽は車のスピードとは全く独立の速さで鳴り続ける。聴くたびに、そのツルツルの疾走感には感心してしまう。リズムは1930年代とは思えないくらい、とてつもなく速くて軽い。メロディはモーツァルトのソナタのように、愛らしくもねじくれている。それらが精巧なおもちゃの部品のようにからみあう。彼は完璧主義者のリーダーだった。クインテットでドラムを叩いていたジョニー・ウィリアムスは後になってスコットに「ぼくたちは機械だった」とこぼした。「名前があることを除けばね」。余談だが、あの(「スター・ウォーズ」の)ジョン・ウィリアムスはこのジョニーの息子だ。


カートゥーン音楽とレイモンド・スコット

カートゥーン・ファンの間では、スコットはなにより、カートゥーン音楽の作曲家として知られている。といっても、スコット自身がカートゥーンのために作曲したわけではない。ワーナー・ブラザーズの作曲家だったカール・スターリングが、スコットの音楽をさまざまな作品で引用しているのだ。

スターリングがスコットの音楽を盛んに引用し始めたのは40年代に入ってから。43年にスコットが楽曲の権利をワーナーブラザーズに売ったのがきっかけになったらしい。彼がとりわけ気に入ったのがスコットが37年に作った「パワーハウス」で、これはさまざまな作品で引用されている。前半はスピーディーな移動を、後半はオートマティックな機械的動きを描写するのにうってつけの前進感のあるナンバーだ。たとえば宇宙から地球へ、さらにマサチューセッツのパン屋へとパワー・オブ・テンさながらに視点移動する「The Mouse-merized Cat (46)」では前半が使われているし、「The Swooner Crooner (44)」で、ニワトリたちがベルトコンベアに乗って次々と卵を産まされていく場面では後半が使われている。

もちろん、これはほんの一部の例で、Eric O. Costelloのthe Warner Bros. Cartoon Companion! によれば、14曲におよぶスコットの曲が117のワーナー・ブラザーズ作品の中に133回使われている、らしい。

意外なことに、スターリングとスコットは生涯会ったことがなかった。それどころか、スコットは晩年になるまで、ワーナー・ブラザーズのカートゥーン映画を見たことがなかったらしい。彼がカートゥーン音楽に対してどういう感情を持ったかは定かではないが、とくに好意的だったという記録は残っていない。彼とハリウッドの関係は、ほとんど楽曲借用料の受け渡しのみだった。


コマーシャル音楽と電子音楽

彼はやがてコマーシャル音楽業界へと進んでいく。BGMやムード音楽の歴史を綴った名著「エレベーター・ミュージック」で、スコットの名前は、ラッキー・ストライク提供の「ユア・ヒット・パレード」のバンドリーダー兼アレンジャーとしてちらりと登場する。このバンドはもともと兄のマーク・ワーナウが指揮していたもので、1949年にマークが死去した後、彼がバンドを引き継いだのだった。以来、彼はこの番組の音楽を担当し、「ビー・ハッピー、ゴー・ラッキー」のジングルも作曲している。

その一方で、彼は幼少の頃から好きだった機械に再び関心を寄せはじめた。それも電子音楽という形で。

1948年、彼は合計10万ドルにも及ぶ膨大な量の電子部品を集めて電子楽器の制作に取り組み始めた。改良を重ねた後、1年後にはモンスターのような巨大な電子楽器が組み上がった。彼はこのモンスターを「カルロフ」と名付けた。その時点では、生楽器の音をシミュレートする、一種のシンセサイザーの機能を持っていたという。50年代後半になって彼はこれをコマーシャルのサウンドトラック作りに使い始めた。といっても、メロディアスなポップミュージックを奏でるためではなく、リヴァーブやエコー、ループなどを駆使して、ステーキの焼ける音や液体がぶくぶく言う音を電子的に合成するためだった。

彼はドラム・マシーンにヒントを得て「サークル・マシン」という、一種のピッチ・シークエンサーも作っている。これはカーバッテリーのCMに使われた。サークル・マシンは電解質が蒸発してバッテリーがショートする効果音を出した。


テルミン、ムーグ、DEVO

スコットはテルミンにも興味を示した。1950年頃のことだ。そもそもは娘のキャリーがブロードウェイの芝居に使われていたテルミンを欲しがったのがきっかけだった。娘にねだられた彼は、あのロバート・ムーグからテルミンを買ったが、ボリュームやピッチのコントロールが微妙なテルミンは、小さいキャリーには難しすぎた。そこでスコットは、テルミンのようなポルタメントを、鍵盤楽器で手軽に出せないかと考えた。こうしてテルミンを改良してできたのが、「クラヴィヴォックス」という鍵盤楽器だった。キーボードと電極位置の上げ下げを連動させて、テルミン回路を演奏するという仕組みにだったらしい。3オクターブものポルタメントを弾ける他、ビブラートなどの機能も備わっていた。

この他にも、リズム・シンセサイザー、ベースライン・ジェネレーター、メロディ・メーカー、リズムギター・シミュレーターなどなど、彼が60年代から70年代にかけて作った電子楽器や電子機器は枚挙にいとまがない。さらには、彼は自動作曲装置にも取り組んでいる。それはキーボードを持たずランダムな音程、リズム、音色のシークエンスによって作曲をする装置で「エレクトロニウム」と名付けられた。もちろん、MもMAXもない時代のことだ。その外観は、当時のジャーナリストの記事によれば「楽器というよりは宇宙船のパネル」で「一閃したかと思うとパネル全体がオレンジ色の光に浮かび上がった」。

数々の電子楽器を開発していながら、スコットの発明は音楽シーンにはほとんど現れなかった。彼は自分の発明をあまり積極的に公開しようとしなかった。それに、巨大で複雑な彼の発明は量産にも向いていなかった。ひとつのアイディアからすぐ別のアイディアに移ってしまう性癖もあった。「エレクトロニウム」はモータウン・レコードのベリー・ゴーディの目に止まり、スコットは研究スタッフとして迎えられたが、「エレクトロニウム」はいつも開発途上で、はっきりとした成果を上げることはなかった。ついには、スコットは自作楽器をすべて引き揚げ、自宅で音の実験を続けた。

レイモンド・スコットは1994年に亡くなった。「エレクトロニウム」は彼の死後、埃をかぶったままだったが、1996年、保存のために買い取られた。買い手はDEVOのマーク・マザーズバーだった。


レイモンド・スコットの電子音楽の一部は現在、 「Soothing sounds for baby」というシリーズの3枚のCDで聴くことができる。3枚はそれぞれ、1〜6ヶ月児用、6ヶ月〜1歳児用、12〜18ヶ月児用となっている。レコード版に付いていたブックレットは手元にないので、いったいどのような理論を元にこのような区分がなされたかはわからない。ぴちぴちと繰り返す電子音のループは、赤ん坊のための音楽というよりも、音楽の赤ん坊のように聞こえる。それは、バッグス・バニーやダフィ・ダックやポーキーたちの疾走とはまったく別のトラックを、天体のようにせわしなく回っている。


参考資料

Books, booklets:
Chusid, I. 1997 The late-night side of Raymond Scott. from Liner notes to the 3-CD set reissued by BASTA "soothing sounds for baby" (30-9064-2)
Schneider, S. 1988 That' s all folks! The art of Warner Bros. Animation. ISBN 0-8050-1485-3
ランザ 1994/1997 「エレベーター・ミュージック」(岩本正恵訳/白水社)
Marmorstein, G. 1997 Hollywood rhapsody. ISBN 0-02-864595.

WWWs:
*Jeff Winner' s The Raymond Scott Archives
Eric O. Costello 's the Warner Bros. Cartoon Companion!

*あまりにも深く愛らしい Jeff WinnerのThe Raymond Scott Archivesでは、 スコットのさまざまな音源やここに挙げた以外の文献にアクセスできる。スコット・ファンのみならず、電子音楽ファンなら必見。


(98.06.02)






to Cartoon Music! contents