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20020916







 外出はやめてゆっくり読書でも、と思うのだが、この部屋にはホテル中の活動が一堂に会している。エレベーターは繰り返しいやがる象をひきずり、裏手から聞こえる工事のドリル音が壁を震わせ、水道管は他室の水の流れを余すところなく伝える。
 朝食はカフェオレ、オレンジジュース、固いパン二個。値段並みだが、ポーランドが懐かしいつつましさではある。


 滞在を延長しようと思うのだが、とフロントで尋ねると、明日からは満室だと言われる。エレベーターががこんがこん鳴っている。いまだ。このような瞬間をかつてスチャダラパーは「トラベルチャンス」ということばで言い表した。明日からはスイスだ。そうしよう。

 サン・ミシェルにでかけてナボコフの本を買う。これで、この旅の読書はナボコフづくしだ。しかし、まだ「ロリータ」が途中だった。ここのところ、なにやかやと見て歩くのに忙しくてずいぶんほったらかしだった。
 部屋はあいかわらずうるさいので、近くの公園で読む。午後の陽射しが暖かい。幼稚園が終わったのか、親子連れがたむろして遊んでいる。ふと、この公園では、この本のタイトルはいささか誤解を生じやすいのではないかと考える。太いノドを折って表紙を隠して読む。ハンバートの小心ぶりと猜疑心が伝染しているらしい。

 夜、ロスチャイルド・ハウスで写真展。テキストと写真をめぐるもの。

 写真は事件である(もしくは写真は廃墟である)。テキスト(キャプション)がついた時点で、それはますます事件性を増す。したがって、「災害絵はがき」は、絵はがきであるがゆえに事件なのではなく、写真+テキストであるがゆえに事件なのだ。(絵はがき屋の段ボールにしばしば、災害絵はがきではなく災害「写真」がまじっていることに注意)。この点で、佐藤健志の絵はがき論は見直される必要があると思う。むしろ事件の郵送性であり報告性を問題にしなくてはならない・・・はっ、これではデリダの「ポストカード」ではないか。

 ロバート・フランクのテキストの分かりやすさ。ロイ・ヒルのスピーカーに砂を入れるビデオ楽し。声を埋める行為。ドキュメンタにも出品していたケン・キムは、鏡に写真をはさんだり、照明入り疑似広告を使ったりと、アイディア旺盛。写真に整ったテキストを入れると、そこには自動的に広告感が立ち現れるという発見。写真のプライベート性とは撮影行為のみにあるのではなく、写真を置く場所に現れる。そして、メンテナンスの悪さ(写真がそる、焼ける、などなど)にも。
 ホームレスなホーム作品では、「ステキ、わたし、もう帰りたくないわ」vs「くそ野郎、とっとと帰りやがれ」。旅情アンビバレント。

 そのあと、青山さん田尻さんとシャンゼリゼ通りを歩きながら、歩道を渡るたびに安全地帯で(つまり車道の真ん中で)ライトアップされた凱旋門を撮っては「わー、まるで透かし絵はがきみたい」と叫ぶ。もう完全におのぼりさん状態。
 かつてパノラマ館だった「Theatre du Rond Point」を見て、コンコルド広場に行くと、噴水、オベリスク、エッフェル塔。パリ三すくみ。一世紀ずっとこの光景。ほんとパリってどうかしてるよ。空には半月。おはずかしいぜエッフェル塔。その光線でわたしを焼き切って。

 最後はオペラ座に行ってラーメン食って解散。地下鉄がリパブリックで止まってしまい、帰りは長い散歩。

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